熟年自転車ひとり旅「ユーラシア大陸横断ツーリング」 後編(2011年4月18日〜30日)
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7月1日〜10日 7月11日〜20日 7月21日〜31日
はじめにスタートまでの出来事を書いておきたいと思います。インターネットでローマ行きの片道の格安航空券を探したがみつからない。
ある旅行会社に行くと、片道航空券では入国できないと言って断られる。次にJBTに行くと、中国国際航空の成田発北京乗り継ぎローマ行の予約が取れる。
ところが後日電話があり、片道航空券では入国できない恐れがあるのでビザを取ってくださいと言われる。
イタリア大使館に電話すると、日本人は90日間ビザなしで滞在できるので観光ビザは出していない。
ローマのパスポートコントロールの係官に質問された場合には旅行目的をよく話してくださいと言われる。jtbにこのことを話し航空券を購入。
ところが4月に入ってjtbから電話があり、中国国際航空の成田ー北京の時刻変更があり、乗り継ぎができなくなったというので、これをキャンセル。
アエロフロートの成田発モスクワ乗り継ぎのローマ行があると言われ、これを購入。
アエロフロートの搭乗手続の時間と自転車の持ち込みの話をすると、自転車については乗せられるかどうかロシア本国に問合せ、後日回答すると言われる。
結果は乗せられることになったが、こんなことはその場で即決してもらいたいものだと思う。
出発前に以上のような面倒なやりとりで疲れた。
4月30日(土)曇昼過ぎから雨
アルタムラ〜バーリ
走行距離:57.67q

朝起きるとどんよりとした曇空。食料はパスタとパンがあるが水が残り700cc。水の補給ができないので雨が降ってきても走ることにする。
8時雨が降らないことを願ってスタート。9時頃少し明るくなってきた。道路は多少アップだダウンはあるもののほぼ平坦。昨日に引き続きこの道路には商店がない。
11時半バーリに到着。駅前の観光案内所でバーリからギリシャのパトラ行のフェリーの出港時間を尋ねたがわからない。
地図をもらってフェリー乗り場、サン・ニコラ教会、フェリーに乗れない場合のことを考えホテルの場所を聞いて港へ。
フェリーターミナルで今日出港時間を尋ねると20時に乗船できる。18時までに乗り場にくるように言われる。パトラ到着は明日の12:30。
チケット買って、食時と観光と買い物に出かけようとすると二人連れの男性に話かけられる。
例によってどこからきてどこまで行くのと聞かれ、これまで走ってきたルートを説明すると、歳を聞かれる。69歳とこたえると驚いている。
ここでも地震の話がでた。そんな話をして出かけようとすると雨が降り出す。時間は十分あるのにここで雨宿りだ。このフェリーターミナルには食べるものを売っている店がない。
仕方がないので残っているパンを食べて雨の止むのを待つ。16時頃ようやく雨が止んだので市内観光へ。まずバーリの守護聖人サン・ニコラをまつるサン・ニコラ教会へ。
サン・ニコラとはあのサンタクロースの伝説を生んだ聖人のこと。続いてカテドラル、城を見て買い物をしようとするとまた雨が降り出す。慌てパンだけ買ってフェリーターミナルに戻る。
バーリに来ても天気が悪く、残念ながら南イタリアにきた感じがしない。やっぱり南イタリアは夏でないとダメのか。
写真はサンタクロースゆかりのサン・ニコラ教会

本日の3本のメールは、いずれもバーリからバトラに向かうフェリーのなから。15:30の船旅の中で。
4月29日(金)晴
ボテンザ〜アルタムラ
走行距離:80.22q

昨夜19時頃から降り出した雨も朝起きると止んでいる。久しぶりによく晴ている。早くスタートしたいがホテルの食事は8時から。
チェックアウトの時、ホテルの女性にバーリまでの道を尋ねるがわからない。彼女はイタリア語以外はボディランゲイジ。地図を見せるとオーナーを呼んでくれる。
オーナーからナビを持っているかと聞かれたので、gpsを見せる。紙を出して何やら線を書き始める。そこに町の名前を書いてゆく。
はじめに書いた線が道路の勾配だ。距離は138q。オーナーの書いた町をgpsに落として走りはじめる。スタートは9時を過ぎてしまった。
走った道路はバイパスなのだろうか。町の中には入らず、ボテンザを出てからは畑と草原、たまにボツンボツンと民家が遠くに見えるだけ。
昨日スーパーで食料を買っておいたので心配なく走れたが、アルタムラまでの80qが無補給区間となった。
道路は一昨日、昨日ほどの厳しい上りはなく、休み休みとか押しがはいるようなことはなかった。17時半アルタムラの町が見えてきたが、バーリまではまだ50q以上ある。
テントが張れそうな場所を探していると、廃屋が数件現れてきた。その中の一番大きい廃屋の中にテントを張る。
4月28日(木)雨降ったり止んだり
ウ゛ィットリオ エヌマ〜ポテンザ
走行距離:51.29q

天候が激しく変わる一日だった。厳しい上りも多かった。そのため距離がちっとも伸びない。
雨の音で目が覚める。時間は6時半。8時半頃止んだので、少し様子をみて9時スタート。すぐ上り坂。10時半頃通りかかった町のスーパーでパンを買っておく。
どこで雨に降られても、途中で食べるところがなくてもいいように。昼頃になってもあたりは畑と草原、民家がボツンボツンとあるだけ。パンを買っておいて正解だった。
昼休をとって13時スタート。15分ほど走ると激しい雨。ちょうど高速道路と交差するところだったので、その下で雨宿り。15分ほどで青空に変わり太陽がでてきたのですぐスタート。
厳しい上り坂を休み休み上って行くと、14時半頃今度は雷をともなった雨。山の中。自分が雷の標的になっているようで恐ろしい。廃屋があったのでそこで雷を避けて雨宿り。いっこうに止まない。
止まなければここにテントを張ればいいやと腹を固める。16時ようやく青空が広がり太陽がさしてくる。気をとりなおしてさらに上り続ける。
ボテンザ手前10qぐらいからようやく5qほど下ったかと思うと、町の中心まで5qほどの上り。観光案内所がわからない。通りかかった熟年の男性に尋ねると、この時間もう閉まっているよ。
ホテル探しているのと聞かれ、安いホテル知らないと尋ねると、近くにペンションがあると教えてくれたので行ってみる。ところが自転車だからか、日本人だからかわからないが断られる。
町の中で自転車押しながらホテルを探してウロウロしていると3人の家族連れの女性に声をかけられる。
イタリア語だが何を探しているのかと言っているようなので、安いホテルを探しているとこたえると、ご主人と何か話して、着いて来なとホテルまで案内してくれる。
奥さんが片言の英語なので私にはかえってわかりやすい。いろいろ雑談しながらホテルへ行く。雑談のなかで地震の話がでる。ホテルに着くとご主人がホテルの人に話してくれる。
それを奥さんが通訳してくれる。シャワー、トイレ、朝食付で50ユーロ。40ユーロの部屋はないかというと。40ユーロでオーケー。
ホテル探しであせっていたので、写真を撮らせてもらうのを忘れ残念なことをした。ホテルのオーナーにスーパーの場所を尋ねると、近くにあると言って連れて行ってくれる。
オーナーも片言の英語で、曲がり角ごとに、この角覚えたといいながら。ペンションで嫌な思いをしたがこんな親切なご家族やオーナーに出会ってこの町がすっかり好きになった。
4月27日(水)晴→14:30頃から曇
ポンテカグナノ〜ウ゛ィットリオ エヌマ
走行距離:81.4 q

今日は3日ぶりに晴れたが風が強い。しかも向風だ。エボリという町のパン屋の前で自転車を停めているとおばあちゃんが話しかけてくる。
日本人、どこから来たのと聞かれたので、日本人で東京からローマとここまで話したところ、そのあとナボリ、ポンペイ、サレルノ、エボリでしょうと私が走ってきたルートをはなしてくる。
あとはイタリア語で最後のグッドラックだけが英語。でもとてもあたたかい感じの人った。エボリの町を抜けると長い上り、しかも向風だ。
フル装備の自転車では厳しいをとおりこしている。10qほど上ると風車が林立している。そんな光景から風が強いのは今日に限ったことではないのかもしれない。
厳しい上りを押したり休んだりしながら、2時間半もかけてようやく越えると天候が一変する。今まで吹いていた風がやみ、空が曇っている。峠からは急な下り。
時速は54qを記録。その後は再び厳しいアップダウンが続く。ウ゛ィットリオ エヌマという町に入ったところで17:30分。
どこでテントを張ろうかとテントの張れそうな場所を探しながら走っていると、ドアや窓が取り払われ、コンクリの柱と壁と屋根だけが残った改築中の建物があったのでそこにテント張って泊まる。
4月26日(火)午前時々雨 午後曇
ポンペイ〜ポンテカグナノ
走行距離:44.35q

昨日の夕食のリゾットはうまかった。インスタントでお湯に入れて待つだけ。こんな簡単なものだが、イタリアに来て初めて米の飯だったからだろう。
20時頃から雨が降ったり止んだり。夜中に雨の音で目が覚める。本降となっている。雨漏りしないかと心配になる。
6時に目が覚めると雨が止んでいる。心配だった雨漏りもない。
一昨日、昨日と観光であまり走ってないので、今日は気合い入れて走ろうと思っていると、また小雨が降ったり止んだり。
空模様をみていると9時頃ろ空がいくぶん明るくなってきたので9時半にスタート。
昨日はキャンプ場近くのスーパーが休みだったので、どこかにスーパーがあったら食料を買ってキャンプに備えておこう。
10時を過ぎたころスーパーがあったので食料の買い物。ところがスーパーを出ようとするとまた雨だ。條ヤは10梍シ。今度はいっこうに止まない。スーパーで1條ヤ以上も雨宿り。
諦めて雨仕様に調えレインウェアを着ようとすると雨が止んだ。今日は一日雨に悩まされそう。
11時45分ようやく再スタート。14時45分サレルノという町に入って観光案内所に行くとシェスタ。開くのが15時15分。30分も待たなければならない。
直ぐ近くに交番を発見。この町にキャンプ場でないかと尋ねると、海岸沿いの10q先にるルビーニヤというキャンプ場があるという。
キャンプ場に着いて日本からきたというと、管理人が喜んでくれ、どこから走りはじめ、どこまで行くのかとか、東京は地震は大丈夫だったかなどいろいろとイタリア語で聞いてくる。
それをもう一人が英語で通訳。最後に写真を撮らせてくれと二人で記念撮影。こんな町でキャンプにくる日本人は珍しいのだろう。
あの大震災が世界でも注目されていることを実感した。このキャンプ場にはバールがあるが今の時期はやってない。
ホットシャワーもあるので、シャワーを浴びてアルコールでもと思ったのに残念。
4月25日(月)曇一時雨(15:15〜15:45)
ナポリ〜ポンペイ
走行距離:27.57q

曇空のなか、ゴミの散乱するナポリの石畳の道路をポンペイに向けて走り出す。土、日のあとのためかそれにしてもひどいゴミの量だ。
ナポリの町をでれぱ石畳が終わると思ったが町を出ても石畳が続く。自転車がが悲鳴をあげている。
時速を10q以下に翌ニし、これからも永い付き合いの自転ヤをいたわって走る。結局12qにわたって石畳を走ることに。
ボンペイに着くと、遺跡の入口近くにキャンプ場がある。こんな近くにキャンプ場が見つかるとは予想外。すぐにテントを張って遺跡へ。
入口で地図と説明書をもらったが、地図はわかるが説明書はイタリア語で読めない。これが読めればと思い残念だ。
ボンペイはウ゛ェースウ゛ィオ火山の大噴火で火山灰にうずもれた古代都市だ。ひとつの都市が丸ごと遺跡となっているのでとにかく広い。
11時に入って出たのが2時半。神殿、劇場、闘技場、庭園、商店、大邸宅など、なんでもある。
ひとつの都市が丸ごと遺跡になっているのだから当然か。
なかでも目を引いたのが大邸宅の大広間の壁一面に描かれた壁画。
「ポンペイの赤」のバックがなんともいえない雰囲気だ、
ポンペイ遺跡と後ろに小さく見える山がウ゛ェスーウ゛ィオ火山
4月24日(日)晴

今日はナポリの市内観光。石畳と坂の多い狭い道路が多くとても自転ヤでは走る気がしない。
また自転車走っている人をほとんどみかけない。のんびりと歩いてみる。町の中はゴミの集積場所には山のようにゴミが積まれ、置ききれず、周囲に散乱している。
道路のいたるところにタバコの吸い殻が捨てられている。そんなかかまずナポリの人の信仰のよりどころといわれるドゥーモへ。
日曜礼拝が行われ、聖書が読まれたり、賛美歌がうたわれ厳かな雰囲気だ。次にナポリの王族や貴族が眠るサンタ・キラーラ教会へ。ここでも礼拝が行われている。
次に国立考古学舶ィ館へ。ここは世界でも屈指のギリシャ・ローマの美術品を収集した舶ィ館。古代都sからの様々な発掘品が展示され、古代文明の宝物庫のようだ。
駅の近くに戻るといろいろな露店がでて、日本のどこかの祭りのようだ。一日観光と思っていたのに疲れて、バールでピザを食べてホテルへ戻る。観光は疲れる。
ホテルでは明日からの走りに備え自転車の手入れ。明日ははポンペイの遺跡をみて、キャンプ場を探し、見つかればキャンプするつもり。
写真はサンタ・キラーラ教会の日曜礼拝
4月23日晴→午後 晴、曇
フォーミア―ナポリ
走行距離:90.46q

走りはじめてしばらくすると、gpsが道路標ッとは違う方向を示す。ナポリまでの距離はgpsより道路標ッのほうが短い。
今日のルートには特に写真におさめておくようなビューポイントもなさそうなので、距離の短い道路標ッにそって走ることにする。
50qほど走ったところで自動車専用道になる。だからgpsが道路標ッとは違う方向を示していたのか。
ナボリに入り、海岸沿いを走って行くと、海に張り出して建てられた12世紀の古城「卵城」が現れる。サンタ ルチアの歌に歌われた風情あるたたずまいだ。
周辺は観光客でいっぱいだ。ここから観光案内書にのっているナボリ駅近くのホテルをめざす。ホテルに行ってみると満室。
どこかホテルを紹介してくれないかていうと、近くのホテルに電話を入れ、空室があると紹介してくれ、場所の地図を書いてくれる。
泊まらないのにとても親切で感謝。紹介されたホテルは古びたホテルで泊まろうか迷ったが、駅に近く安いことと、なによりもホテルの親父が感じがいいので泊まることに。
はじめシャワーなしで35ユーロという。それでは泊まらないというと、シャワー付きの部屋で、自転車は部屋に置いていいというので泊まることに。
スーパーやバールを尋ねると外に出て、私の肩に手をあて、あそこがスーパー、あそこがバールと指差して教えてくれる。
スーパーではキャンプにそなえ、食べ物、調味料、コーヒーなどを購入。
あとはガスカートリッジをもってきているのでアウトドアーショップでキャンピングガスを購入するか、なければガソリンストーブのガソリンを購入すればいい。
問題は水だ。いまのところ毎日ホテル泊まりだから、はやくキャンプをしてみたい。
写真はは卵城とサンタルチアの海
4月22日(金)曇
アプリーリア―フォーミア
走行距離138.83q

昨日はスタートが9時を過ぎてしまったので、今日は8時にスタート。半袖のサイクルジャージと短パンで走って日焼けし、腕がヒリヒリするので、
今日は長袖のサイクルジャージで走る。スタートしてラティーナという町までは交通量が多く緊張して走る。この町を過ぎると交通量が急に少なくなって、はじめは快適に走る。
ところが真っ直ぐな単調な道路で、まわりも畑ばかりで変わりばえのしない風景が続く。ぼんやり走っているとスピードが翌ソて、気がつくと時速15qに翌ソている。
結局なんと40qにおよぶ変化のない直線道路。走っていて飽きてしまう。ところがフォーミアの手前25qの町からは10q以上の上り。
100qほど走ってからの上りはきつい。勘弁してほしい。この坂を休み休み上り、1條ヤ15分もかかってしまった。
フォーミアの町角のベンチで談笑していた数人の熟年の男性に安いホテルを尋ねると、皆で相談して、町の中心街から3qほど離れたところにあるホテルを教えてくれる。
ホテルに行くと、すごく宿泊料の高そうな雰囲気。そしてここは違う。そのホテルは直ぐ近くのむかいがわだという。
ちなみにこのホテルは1泊いくらですかと尋ねると、フロント女性は80ユーロという。ところがそばで聞いていたフロントの男性が60ユーロという。50ユーロで泊まれないかというとok。
シャワーではなくバス、トイレ、朝食付だという。荷物も部屋まで運んでくれる。部屋は広く清潔で、ソファーやテーブル、冷蔵庫、歯ブラシ、髭剃りなどアメニティ―も全て揃っている。
部屋からは先ほど走ってきたフォーミアの夜景が見える。素晴らしいシーサイドホテル。
間違って入ったことが幸運だった。
湯船にドップリつかり、138qにあるおよぶ激走の走りがいやされた。
4月21日(水)晴

走行距離 70.5q
交通量の多さと石畳に悩まされながら慎重に走ってウ゛ァティカン市国のサン・ピエトロ寺院に到着。
今回のツーリングのスタートはここに決めておいたのだ。いあわせた女性に写真撮影をお願いする。
スタートしてしばらくはあい変わらず交通量の多さと石畳に緊張して走る。ローマ市街を抜けると徐徐にではあるが交通量が少なくなってくる。ところが今度はアップダウンが続く。
さらに長いのぼりだ。その後はようやく下りから平坦な道になる。キャンプできそうな所を探しながら走るがみつからない。
16:30アプリーリアという町に入る。條ヤ的にこの町に泊まろと町の中心街で観光案内所を探すがみつからない。
観光案内書にものっていない町なのでないのかもしれない。ちょうど警@官がいたので聞いてみると、観光案内所もキャンプ場もないという。
安いホテルを聞くと分かりやすいところまで案内してくれる。紹介されたホテルでは、奥さんがイタリア語でなにかいったあとすぐにその場からいなくなり、しばらくするとご主人が出てくる。
奥さんは変な東洋人に驚いたのだろう。宿泊料はシャワー、トイレ、朝食付で40ユーロ。もう少し安い部屋はないかというと、35ユーロ。他のホテルを探すのも面倒なので泊まることにする。
なんだか成田以来ずっと値切り交渉ばかりやっているようで我ながらあきれものだ。町に散歩に出かけると、ローマでは皆足早にせかせかと歩いていたのにこの町では皆ゆっくりと歩いている。
町の雰囲気も翌ソ着いていて治安もよさそうだ。ただどこへいってもほとんど英語が通じない。
イタリアに来て今日で4日目、ボンジョルノ、グラーツィエ、スクーズィ、クアント コスタなどが抵抗なくでるようになった。
そうそう治安のことで思い出した。ローマのテルミニ駅で地下鉄の乗車券を買おうとしたとき、人形を抱いて布で手を隠した女性が近寄ってきた。
とっさの判断でかわしたが、観光案内書に書かれているスリだ。実際に出くわしたのは初めてだ。本のうえだけことかと思っていたのに。
4月20日(水)晴
今日もサン・ピエトロ寺院へ。10時からローマ法王の謁見が行われる。昨日同様地下鉄で行く。
9時45分寺院に到着。10時になってもいっこうに始まらない。30分遅れて始まる。
法王がオープンカーで入場。サン・ピエトロ広場に集まった2〜3万人と言われる人が興奮して迎える。
講話が行われ、拍手が起こったり、海外からやってきた人が国旗を振ったり、興奮が高まる。
携帯のカメラでは状況が上手くお伝えできないのが残念です。
今回の目的のひとつがローマ法王の謁見だとたので、目的のひとつがはたせたので、また明日から走りはじめます。
4月19日(火)晴
フィウミチ―ノ―ローマ
走行距離:40.92q
いつものことながら心配していた自転車は、朝ダンボールから取り出すと何事もなく一安心。
今日は時差ボケで調子が良くない。ローマまで慎重に走り、テルミニ駅近くの前回泊まったホテルへ行くと満室。
近くのホテルも3軒が満室。4軒目でやっと空室がある。
値段は1泊朝食、シャワー、トイレ付で60ユーロ。もっと安い部屋はないかというと55ユーロという。
2泊するから50ユーロにしろと言うと、キャッシュならそれでいいというので泊まることにする。
部屋に入ると冷蔵庫もついている。テルミニ駅の直ぐ近くでこの値段。まあいいだろう。
荷物を部屋に置いて、フロントでブァティカンへの行き方を尋ねると地下鉄が一番いいという。
前回混んでいて入らなかった、ブァティカン博物館とサン・ピエトロ寺院、今回はと思って行ったが、前回以上に並んでいる。
今回も諦めて、サン・ピエトロ寺院だけでホテルへ戻る。
4月18日(月)
大地震後の余震が続いているので、交通機関への影響を考慮して早めに自宅を出発。何事もなく9:30に空港に到着。ところが搭乗手続に時間がかかる。
先ず片道航空券では入国できない恐れがあるので、入国できない場合、航空会社に責任は問わないという書類に署名を求められ、これに署名。
次に荷物の重量が20s超過。超過料金はsあたり3800円、合計76000円だという。人より荷物ほうが高い。
勘弁してもらいたい。旅行の主旨を話して無料にしてくれというと、それでは半分の10s超過にするという。
さらに粘って5s超過でお願いするというと、それでは機内持ち込みの荷物を計らせてくれと言われ、計ってみると7s。10sまで機内持ち込みできるという事で、
あと3sを機内持ち込みとし、最終的に7s超過で26600で決着。モスクワ空港に到着。
6年前に乗り継ぎで立ち寄った時は、暗い感じの古い空港だったが、すっかり変わって近代的な素晴らしい空港となっている。
ローマに着陸すると、前回もそうだったが乗客から拍手がおこる。ロシアからの便はみんなそうなのだろうか。
旅行会社や航空会社が心配したパスポートコントロールでは、係官は何の質問もなくだまってスタンプを押してくれる。
続いて荷物を受取り、税関に行くと、その荷物は自転車ですね。もう一つは何ですかと聞かれたので、
スペアタイア、スペアチューブ、テント、シュラフと説明してゆくと、ここで説明を遮り、どこを走るのかと聞いてくる。
ローマから中国の上海までと答えると、「オー、グッドラック」と言われ、荷物検査はなし。
続いてタクシー乗り場へ行こうとすると、空港の出口付近で客引が声をかけてくる。ホテルは決まっているのかと聞かれ、フィウミチーノのホテルイソラと言うと、50ユーロだと言う。
距離を聞くと6q。半分の25ユーロにしろと言うと、40ユーロに。さらに30ユーロにしろと言うと、荷物が大きいので、大きい車が必要だから40ユーロだという。
乗らないと言って、タクシー乗り場でワゴン車のタクシーを探す。1台目は荷物が大きいと言って断られる。
2台目は40ユーロという。30ユーロにしろと言うとダメ。時間も10時半を過ぎているのでしかたがない。
妥協して35ユーロというとok。カネにはシビアだが荷物の積み降ろしもまめにやってくれる。降りる時は普通ならチップを渡すところだが、高いので35ユーロだけ支払う。
それでも運転手はニコニコしてグラッチェという。彼にとってはいい仕事だったのだろう。
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