熟年自転車ひとり旅「ユーラシア大陸横断ツーリング」 後編
はじめにスタートまでの出来事を書いておきたいと思います。インターネットでローマ行きの片道の格安航空券を探したがみつからない。
ある旅行会社に行くと、片道航空券では入国できないと言って断られる。次にJBTに行くと、中国国際航空の成田発北京乗り継ぎローマ行の予約が取れる。
ところが後日電話があり、片道航空券では入国できない恐れがあるのでビザを取ってくださいと言われる。
イタリア大使館に電話すると、日本人は90日間ビザなしで滞在できるので観光ビザは出していない。
ローマのパスポートコントロールの係官に質問された場合には旅行目的をよく話してくださいと言われる。jtbにこのことを話し航空券を購入。
ところが4月に入ってjtbから電話があり、中国国際航空の成田ー北京の時刻変更があり、乗り継ぎができなくなったというので、これをキャンセル。
アエロフロートの成田発モスクワ乗り継ぎのローマ行があると言われ、これを購入。
アエロフロートの搭乗手続の時間と自転車の持ち込みの話をすると、自転車については乗せられるかどうかロシア本国に問合せ、後日回答すると言われる。
結果は乗せられることになったが、こんなことはその場で即決してもらいたいものだと思う。
出発前に以上のような面倒なやりとりで疲れた。
9月18日(日) 晴
〜立川

6:55、予定より15分早く立川駅到着。タクシーで自宅へ。4/18ローマに向けスタート。
以来今日までの5ヵ月にわたる長い期間のツーリングになったが、おかげさまで無事帰宅することができた。
ウズベキスタンや中国では、公安や警官によるパスポートチェックという名目での不満な対応があったものの、いろんな国で多くの人にお世話になり、楽しいツーリングを続けることができた。
自転車ならではの出会いがいっぱいあった。機会があればみんなのおかげでできた体験を伝えていきたい。こんな熟年自転車族がいるのかと思っていただければそれでいい。
このことがお世話になった皆さんヘの恩返しになると思う。終わりに、行く先々の国ぐにでお世話になった皆さん、旅日記を掲載していただいたり、
激励のメールを送っていたがいた中高年の元気がでるページ編集人の村上芳信さん、
自転車の整備とメンテナンスのアドバイスをいただいたサイクルショップピットツルオカさん、
そしていつものことながら心配をかけた妻に心から感謝をささげる。ありがとうございました。
9月17日(土) 曇り
難波〜

今日も朝風呂に入ってからホテルで朝食。テレビをみていると、台風と秋雨前線の南下で天気が当分良くなりそうもない。
特に奈良、和歌山、東海地方は大雨の予報。でもここでは大雨の雰囲気はない。正午にチェックアウト。道頓堀で昼食を食べて外に出ると雨がパラつきはじめる。
午後はバスの発車時刻まで時間があるので、自転車で大阪観光をと思っていたが取り止め。バスターミナルへ行き、荷物はコインロッカーへ。
自転車は輪行袋に入れ待合室に置いて、町を歩いて時間潰し。それにしてもバスの発車時刻までは時間がありすぎる。
夕食後はひたすら待合室で発車時間待ち。22:30満席のバスで立川に向かう。
9月16日(金) 曇り
大阪滞在

先ずのんびり朝風呂に入って、ホテルで朝食。上海から大阪まではフェリーだったので、頑張ってこの3日分のメールを送ってから、道頓堀へ出かけ昼食。
昼食のあと難波のバスターミナルで、どこ行きのバスがあるか案内板をみると、なんと立川行と八王子行がある。空席の状況を聞いてみると、いずれも2席ずつ空きがある。
自転車が乗せられるかかさねて聞いてみると、八王子行はダメ。立川行は輪行袋に入れることでok。どうして取扱いが違うのだろう。
自転車を嫌うバスは日本だけだ。他の国ではそのまま乗せてくれるのに。台風も迫っているし、大阪でのんびりしたら、国内を走る気がしなくなったのでバスで帰ることにする。
もう完全に帰宅モードに入ってしまった。バスは難波発17日22時30分、立川着18日7時10分。
9月15日(木) 晴
〜大阪 20.35km

9:15大阪港へ到着。大阪が暑いので驚く。上海では長袖で過ごしていたのに。日本はまだ真夏のような感じ。
港から市街地に出るのが大変。橋が何本かあるが、自転車が渡れる橋は1本だけ。しかも一番遠回りのところにかかっている。
日本もやっぱり自動車優先なんだなー。国道26号線の信号待ちをしていると、マウンテンバイクに乗った男性が、旅行中ですかと話しかけてくる。
このあたりのホテルに泊まろうと思っているというと、天王寺のホテルを紹介してくれる。ところが行ってみると満室。
天王寺駅の観光案内所に行くと、難波のホテルを紹介してくれたので、条件があったのですぐ予約。
道頓堀から数十メートルのところにあるビジネスホテルで清潔で設備が良く、アメニティも全て揃っている。観光案内所でもらった割引券を使って、1泊朝食付で4400円。
チェックイン後先ずは風呂へ。5ヵ月ぶりに湯船につかって気分は最高。こういうのって温泉気分というのかナー。食い倒れの町道頓堀を歩いてみる。
久しぶりの和食に目がいく。ここで生ビール、ぶり大根、てっか丼で夕食。やっぱり和食が一番だ。ホテルに戻って今日2度目の風呂。
西安、上海ではユースホステルのドミトリーでプライバシーがなかったり、西安から上海まではバス、上海から大阪まではフェリーで揺られてきたので、揺れのないところで和食を食べ、
風呂に入って生き返ったようだ。道頓堀には食べたいものがいっぱいあるので、ここで何泊かしようと思う。食い倒れてしまいそう。
9月14日(水) 晴

やることもなく、終日船内でぼーっとして過ごす。たまにはこんな日があってもいいか。
9月13日(火) 曇りのち正午頃から晴
ユースホステル〜フェリー乗り場
走行距離:3.79km

ユースホステルから自転車に乗ってフェリー乗り場へ。自転車と荷物はいつものようにそのままフェリーに乗せられると思っていたが違った。
先ず自転車から荷物を降ろし、240元払って自転車だけ預ける。荷物はバッグ類が7個。
キャリーを借りてそれに乗せ、セキュリティーチェックを受け、運賃等を支払い、パスポートコントロールで出国審査。ここからが大変。
キャリーがないので7個の荷物をバス乗り場へ。係員が手伝ってくれる。バスでフェリー乗り場へ。フェリー乗り場から荷物を船室まで運びこむ。
なにしろ荷物が多いので、いつもと勝手が違ってフェリーに乗り込むまでが大変だった。フェリーの定員は272名。乗客は93名。そのほとんどが中国から日本ヘの団体の観光客。
あとは日本人の帰国者のようだ。乗船前に自転車で待っている姿をみていたのだろう。日本語を話せる中国人が話しかけてくる。
中国の観光客の間で中国国内を自転車で走ったということが話題になっているようだ。
漁船衝突事故で反日感情云々と言われていたが、船内でもそうだが、中国国内でそのようなことは全く感じなかったし、むしろいろいろとお世話になることの方がはるかに多かった。

写真はフェリーから見た上海の市街地
9月12日(月) 曇り
〜上海

バスの中でめが覚めると2日にわたって降り続いた雨が止んでいる。到着予定時間になっても上海に近付いている雰囲気ではない。
運転手に聞いてみると、到着予定時間は正午だという。チケット売り場の係は何やってんだ。いい加減にしてくれ。到着時間ぐらいのことはきちんと調べておけ。
上海でバスを降りたあと、タクシー乗り場までは相当な距離がある。ポーターがすぐ寄ってくる。タクシー乗り場まで2人で運んで20元。ワゴン車のようなタクシーで宿へ。
タクシーの運転手が流暢な日本語で話しかけてくる。久しぶりに日本語を話してリラックスした。
ガイドブックには中国は今日は祝日とはなっていないが、運転手の話しだとと今日は祝日で、休みのところが多いという。そして月餅を食べる日でもあるそうだ。
案の定フェリー会社へ行くと閉まっている。仕方がないので宿に戻って日本のフェリー会社に電話。13日11時上海発、15日8時大阪着のフェリーが予約できた。
慌ただしいが次のフェリーは17日。それまで待つのも嫌なので、明日のフェリーに決めた。フェリーの予約ができたので上海の中心の南京東路を歩いてみる。
祝日だからだろうか、それともいつもこうなのか、物凄い人出だ。タクシーの運転手が言っていたとおり、月餅を買うのに行列ができている店もある。
ひとつ買って食べてみたが、日本のもののほうがうまい。西安のもそうったが、甘味の違いによるものだと思う。どうも人混みと観光は苦手で、夕食を食べて早々に宿に戻る。
西安の2軒のユースホステルもそうだったが外国人のバックパッカーばかり。西安との違いはレセプションでの会話が全て英語。流石が中国きっての国際都市だ。
9月11日(日) 雨
西安〜

朝から雨。午前中は観光をと思っていたが取り止め。バスで上海へ行くことにする。
西安から上海までの間で特に立ち寄りたいところがあるわけではないし、中国は2ヵ月近く走ったので、もういいやという気持ちなったので、バスにした。
バスターミナルにはどこも発車時間の表示はあるが、到着時間の表示がない。チケット売り場で聞くと、紙に12日8時と書いてくれる。
自転車を乗せてくれるかどうかは、運転手の判断次第と心もとない返事。料金は100元程度と曖昧だ。
バスの乗り場へ行くと、輪行袋に入れた自転車は何も言わずに積んでくれ、料金の請求なし。15:30に発車。トイレ付き寝台バスで、高速道路を走るので、揺れも少なく安心だ。
途中20:30頃ドライブインで夕食休憩。この食堂では入口で5元払って、10種類程度の料理から、食べたいものを指し示すと、米飯と共に盛り付けてくれる。安いのにうまい。
9月10日(土) 曇りのち9:30頃から雨
西安滞在

今日も朝から観光。はじめに西安最大のモスク(イスラム寺院)清真大寺へ。建築様式の基調は中国風。中国風のモスクを見るのははじめてだ。
礼拝大殿が素晴らしい。緑色の瑠璃の瓦で覆われている。1000人以上の信者を収容できるというが、残念ながら一般の人は礼拝殿には入れない。
朝食は回坊風情街の賈三灌湯包子という店でで包子を。皮が薄く、餡が熱々のスープを含みうまい。中国で食べた包子で一番うまかった。次に鼓楼へ。
鼓楼には上ることができるが、雨が降ってきたので上らず、急いで周囲から写真を撮る。楼の上の城郭に並ぶ太鼓には文字が書かれている。
季節や天候を表しているようだがよくわからない。かつてはこの太鼓の音で時刻を告げたという。一度宿に戻って雨が止むのを待つ。
11時頃雨が止んだので鐘楼へ。東大街、西大街、南大街、北大街の4っの大通りが交わるところに建っている。
かつては町の中心として様々な機能を果たすなど、非常に重要な役割を担っていたという。
一時止んでいた雨がまた降り出したので、ここにも上らず、周囲から写真を撮って宿に戻る。昼食は歩いて朝食を食べた回坊風情街へ。白い帽子をかぶったイスラム教徒の姿が目につく。
販売しているものをみても回族の文化がかいまみえる。遅い昼食は麻婆涼皮。辛さがまろやか。次に黄河柿子餅。柿のペースト入りでもっちりしている。
次に桂花?。おはぎに栗のペーストをぬったもの。ひんやりしてうまい。いろいろ食べて満腹。もう食べられない。食意地が張っていてしょうがないなー。
雨が降っているので、夕食も牛肉と何かを蒸したよくわからないものを買って帰ったが、昼に食べ過ぎて食べきれず残してしまった。
写真は清真大寺礼拝大殿。
9月9日(金) 曇り一時雨(16:00〜17:00)
西安滞在
午前中は自転車で観光。先ず大雁塔へ。ここは玄装三蔵がインドから持ち帰った仏典の漢訳を行った場所。三蔵法師を思いおこして感慨深いものがある。
次に碑林博物館へ。石像や林立する石碑が素晴らしい。職人が拓本をとっている。販売もしているので欲しいと思ったが、価格も高いし、自転車では持ち帰れないし、やっぱり買うのはやめた。
宿に自転車を置きに帰って、ここのレストランで昼食。ハンバーガー、ポテト、牛乳がないのでヨーグルトを注文。全てうまくない。
午後からはバスで西安最大の見所秦始皇帝兵馬俑博物館へ。広大なドーム内にずらりと並ぶその迫力たるや、まさに圧巻だ。
これを見て大満足。観光で疲れたので、夕食を食べに出かけるのが面倒になり、昼に続きここのレストランで夕食。中国料理ならうまいだろうとチャーハンを注文。これもうまくない。
ハンバーガーがうまくないのは許せるが、中国料理のチャーハンがうまくないのは許せない。宿はこのユースホステルの近くの西安書院国際青年旅社が予約できたので一安心。
明日も観光だ。今日は食事がうまくなかったので、明日はうまいものが食べたいな。
写真は兵馬俑。
9月8日(木) 曇り
興平〜 西安
走行距離:77.18q
今朝ホテルをチェックアウトしようとすると、昨日係が案内するとき、どうも勘違いして部屋を間違えたらしい。どおりで宿泊料の割に設備が整い過ぎていると思った。
西安に着いて、先ずはシルクロード起点群像前で記念撮影。当時のシルクロードに向かった情景を思い浮かべる。ここから城壁内に入るまでが距離が長い。
南門近くの湘子門国際青年旅社に行ってみる。今日と明日は泊まれるが、明後日は満室。とりあえず2泊することにする。
ここは明代の屋敷を改装したもので、ユースホステルにしては高級感があって雰囲気抜群。私が泊まった部屋は2段ベッドが4台。男女同室。女性が3人、男性が4人。
私以外は全て外国人。荷物をおろしたあと、少し町の中を自転車で走ってみる。道路は狭いし、歩行者、自転車、オート三輪、自動車が無秩序に動くので危ない。
かなり緊張した。中国は自動車優先だからなー。宿に着いたとき、メーターをチェックするのを忘れた。興平から西安までは多分50〜60qだと思う。明日は宿探しと観光だ。
写真はシルクロード起点群像
9月7日(水) 曇りのち14時頃から晴
ヤン平鎮〜興平
走行距離:104.47q
天気予報に反して、4日も降り続いた雨がようやく止んだ。西安までは100数十q。私の脚力では一気に走り切るのは無理。
100q前後の町に泊まることにして8:30スタート。10時頃から時々太陽がうっすらと見えてくる。これで雨の心配は無さそうだ。
14時久しぶりに晴れてきた。なんだかんだと言ってもやっぱり晴れると気分がいい。17:30輿平という大きな町で100q。この町に泊まることにする。
町の中心近くで目についた旅館に行ってみる。自転車は停められそう。外観からは宿泊料が少し高そうだが、
今日まで3泊した旅社が宿泊料は安いもののひどい設備だったので、少し高くても泊まるつもり。宿泊料は60元から。
それを50元に値切って泊まることに。部屋はシャワー、トイレ、アメニティ、パソコン、テレビ、エアコン、電気ポット、お茶付き。めちゃくちゃ安い。
いい旅館にあたって幸運。夕食はやどの近くの屋台で。先ず麺を食べ。次に豚のあらゆる部分と羊の頭などの屋台へ。
お金をやりとりした手で切りわけたりして不衛生。でも前から食べてみたいと思っていたので食べてみる。豚のどの部分かわからないが、脂がのっていてうまい。
次にパンの屋台へ。明日のためにパンを購入。ここでも無造作に手で掴んで、ビニールの袋に入れてくれる。中国はまだまだ衛生観念が乏しい。
9月6日(火) 雨

ヤン平鎮滞在
今日も終日雨。昼食を食べに出かけた帰り、月餅が1個2元と安いので買ってみた。本場のものの方がうまいと思ったが、ここのものより日本のものの方がずっとうまい。夕食は昨日行った店で麻婆豆腐を注文したが、辛くしないでと言ったが、辛いだけで不味くて残してしまった。今日の夕食は店を変えてみた。卵、トマト、ピーマン、ネギのいためもの、シーホンシーチャオジィタンという。辛くなく、油っこくなく、さっぱりしていてけっこううまかった。食事に出かける以外は、ぼーとしてテレビをみて過ごす。明日も天気予報は雨。参った参った。
9月5日(月) 雨
ヤン平鎮滞在
今日で3日続きの雨。この宿にもう1泊することにする。シャワーがないこと、トイレが不潔だけど、他の宿も同じ様なものでしょうがない。
トイレだが、いわゆるぼっとんトイレ。小の方はなんとか外で済ますとしても、大の方はそうはいかない。トイレにいっあと鼻が曲がってしまったのではないかと思った。
鼻が曲がるとはこういうときに使う言葉だと思った。でも家族経営で、皆親切で人がいいのが救いだ。小さな町で5〜10分も歩けば一回りできてしまう。
ガイドブックを見たりして過ごすが退屈で退屈でしょうがない。
明日は雨が止みますように。
9月4日(日) 曇りのち10:30頃から雨
宝鶏〜ヤン平鎮(ヤンピンチェン)
走行距離:36.64q
どんよりとした曇り空。雨が降ればその時点で宿に泊まることにして8時スタート。やっぱり10:30頃から霧雨が降り出す。
大きな町で宿もあったが、まだ傘をさしている人がいないのでそのまま通過。これが間違いのもと。町を通過すると霧雨から小雨に。
雨仕様に整え宿を探しながら走るが、商店や食堂はあるが宿がない。正午頃ようやく宿のある町へ。招待所と旅社がそれぞれ1軒づつある。
招待所は30元、旅社が15元、2軒ともシャワーなし。部屋を見せてもらったが、違いは部屋の広さだけ。シャワーなしだが、雨のため泊まることにする。
もちろん15元の旅社の方だ。ここも名前も聞かれず15元払ってチェックイン。午後から少し雨足が強まる。シャワーが無いのを我慢して、ここで泊まって正解だった。
雨が降らない降らないと思っていたら2日続きの雨。西安が遠いい。
9月3日(土) 雨
宝鶏滞在

7時朝食を食べに出かけようと宿を出ると小雨が降っている。久しぶりの雨だ。傘をさすほどの雨ではないのでスタートの準備。
8時まだ小雨が降っている。しばらく様子をみる。9時さらに雨量が少なく、ほとんどの人は傘をさしていない。悩ましい雨だ。
空模様から途中で降られるのも嫌なので、今日は走るのをやめ、連泊することにする。
ベッドで横になり、テレビを見たり、ガイドブックを見たりしているうちに、いつの間にか眠ってしまった。久しぶりに休んで、これまでの疲れが出たのかなー。
昼食のあとまた昼寝。いくらでも眠れそー。夕食を食べに出かけ、何を食べようかと物色していると、ハンバーガーの店があった。
中国のハンバーガーなんて珍しいと思い買ってみる。チキンバーガー2個10元。このチキンはさっぱりしていてけっこういける。
惜しいことに、パンが軟らかすぎてうまくない。今日は終日小雨が降ったり止んだり。走らなくて正解だった。
9月2日(金) 曇り
ウーテェイ〜宝鶏(バオジィ)
走行距離:100.82q

道路の状況は昨日と変わらず、スタートから終日アップダウンが繰り返される。徐々に脚力が失われ、ストレスがたまる。
宝鶏10数qに近付いたところでようやく平坦になる。宝鶏に着いていつものように先ずハンドル宿探し、宝鶏一の繁華街経二路にホテルが集中している。
その近くの路地の入口に招待所の看板があったので、道路沿いより静かだろうと行ってみる。一発で宿泊。夕食に町に出かけるといい店があった。
野菜や茸、卵、豆腐、ソーセージなど数十種類の食材が棚に並んでいて、その中から好きなものを自分で選らんで係りに渡すと、大きなどんぶりに入れ、熱湯をかけ、自分の好きなたれをかけてもらう。
日本の水たきのようで、油こくて辛い中国料理とはひと味違ってうまかった。今日は宿も料理も当たり。
9月1日(木) 曇りのち10時頃から晴
天水〜ウーテェイ
走行距離:84.08q

今朝は寝坊して、遅い時間の9時スタート。6時に一度目が覚めたがなかなか起き上がれず、うとうとしているうちに又寝てしまい、次に目が覚めたのが7:3。
昨日の麦積山の疲れが残っていたのかなー。国道310号線はスタートから28qほどは平坦だったが、その後はアップダウンの繰り返し。
ほとんど平坦なところがない。りんご畑が広がり、いたるところでりんごの取り入れ作業が行われている。
町の名前はわからないが市場にりんごが集められ、量を量ったり、箱に積めたり、様々な作業が行われている。写真を撮らせてもらっていると、これを持って行けとりんごをいただく。
宝鶏には今日中に着くのは無理なので、どこかに宿があったら泊まろうと思いながら走る。スタートから75q地点の町に旅社が2軒あった。
時間も16:30、泊まろうと行ってみると、2軒とも同じ対応。会話集をみて話しをしただけで断られる。こんな町に泊まるもんか。
84q地点のウーテェイという町に旅社と食堂をやっているところがあった。時間も17:30でちょうどいい。すんなり泊まれた。
名前も聞かず、パスポートを見せろなどと言わず、宿泊料15元というだけ。宿泊料を払っておしまい。もちろん領収書などはない。
ここのお爺ちゃんが面倒見がよく、荷物を運んでくれたり、ポットにお湯を入れて持ってきてくれたり、そのうえにクルミまで剥いてくれる。
ここの食堂で夕食。おすすめ料理を聞くと麺だという。ビールと麺を注文。残念ながらビールは冷えてなくてうまくない。食事の後中庭でお爺ちゃんと雑談。
この町はウーテェイというと紙に書いてくれる。日本語には無い文字なので、メールではカタカナで表示した。
今日は天水からここまで走り、明日は宝鶏まで走る予定というと、表にして距離を書いてくれる。
ベッドと机、シャワーなしと設備はよくないが、とても楽しくすごすことができた。
写真は今日走ったルートの一部
8月31日(水) 曇りのち10時頃から晴
天水滞在

ホテル近くのバス停から天水駅で乗換えてバスで麦積山石窟へ。坂を上り、岩山に取り付けられた急な階段を上りながら、仏教石窟の石像をみてゆく。
下から見える石窟正面の石像が迫力があって素晴らしい。金網の扉に鍵が掛けられ、覗き込むようにしてみて行く。
上るだけでも大変なのに、金網越しに覗き込むようにしてみて行くが、暗くてよく見えないものもあるが素晴らしい。
ホテルに戻ってからは、先ずバッグ類の補修。針と糸で縫ったり、ガムテープを巻いたり、かなりボロくなってきた。帰ったらオルトリーブのバッグを買おうかなー。
次に8階の部屋の中で自転車の手入れ。先ずハンドルバーのグリップのゴムの手の平が当たる部分が擦り減ってきたので、バーエンドを緩め、ゴムの部分を回して減っていない部分を上にする。
次にタイヤローテーション。後輪のタイヤの減りの方が早いので、前後の入れ換え。入れ換えの時前輪のタイヤにいつもの極細のワイヤーが刺さっていた。
パンクはしていないようだが明日もう一度確認してみよう。
8月30日(火) 曇りのち10時頃から晴
甘谷〜天水
走行距離:65q

天水までは距離が短いので、宿の近くの店で朝食。8:30の遅い時間のスタート。
いきなり上り坂。5qほど上ったところでバテ、その後の3qは押したり休んだりが多くなる。その後は一方的だった上りから、5qほどのアップダウンに。
この辺りから甘谷までりんご畑が多く、今の時期りんごの取り入れや出荷作業に忙しそうだ。スタートからここまでの13qに3時間30分もかかってしまった。
こんな急斜面にも写真のように、民家が張り付くように建ち、段々畑があるのにはあきれる。5qほど下ったあとは、多少のアップダウンはあるものの下り基調。
のんびりと走って天水に到着。中心街の天水広場の近くのホテルへ。宿泊料がガイドブックの半分以下の70元だったので2泊することに。
今日は時間に余裕があるので少し町の中を歩いてみる。天水広場周辺には野菜や果物、日用雑貨などの露店がずらりと並んで、買い物客でごった返している。
こういう雑ぜんとした雰囲気っていい
8月29日(月) 曇りのち9時頃から晴
ロンシイ〜甘谷(ガングウ)
走行距離:105.7q

昨日から皆さんが走られるポピュラーな国道312号ではなく、一度は少し外れた道も走ってみたいと、国道316号を走っている。
結果は景色はいいが上りで苦労した。今日はその疲れが少し残っているので高速道路を走ることにする。
ロンシイの高速道路の入口に行くと、係員2人がとんできて、ここは自転車は走れないという。そんなことはわかってるは。
天水まで行くのでなんとかお願いしますというと、一人は厳しい表情でダメだという。もう一人がしょうがない行かせてやれよと他の一人に言ってくれた様子。
なんとか入口を通過。途中で高速公路の車に止められる。二人が下りてきて、ここは自転車は走れないと言っている様子。
日本語か英語で話してくれと言うと、言ってもわからないと思ったようで、行ってくれのゼスチャー。次に警官に止められる。高速公路の時と同じ。
話しても無駄とあきらめた表情で、行くようにのゼスチャー。明日からはもう高速道路を走るのはやめよう。
甘谷という高速道路の出口で、走行距離が100q近くなったことと、時間も17時。ここで高速道路を出て、この町に泊まることにする。
安すそうな旅館が目についたので行ってみると、若い女性が対応。一応チェックインできた。でもこのまま泊まれるか少し心配だが、腹がへっていたのですぐ食事に出かける。
宿に戻ると先ほどの女性の父親が他のホテルに移ってほしいという。もう時間も19時と遅いので、ここに泊めてくれと言うと、どこかに電話。話しの内容はわからないが、結果は泊まれることに。
自転車は入口近くから3階の部屋に入れてくれという。目立たないようにということだろう。娘が泊めてしまったので、父親が苦労したようだ。
話しがつくと、お湯の入ったポットとグラスを持たしてくれる。雰囲気からとてもいい親父だと思う。
8月28日(日) 曇りのち11時頃から晴
ロンハイシャン〜※西(ロンシイ)
走行距離:99.4q

ロンハイシャンから20qほど走り、定西の町を抜けると今日もまた上り坂が。途中でg312とs209に別れるy字路にでる。
gpsはg312を指しているが、s209を走ってみることにする。たまにはガイドブックにのっていない道路も走ってみたいから。
写真の様な山の中を15qほど走ると正午。昼食後もさらに10qほど上る。その後はアップダウンを繰り返し、17:30ロンシイという町に到着。
鼓楼があったので、その付近で宿を探す。3軒で断られる。昨日と違ってかおをみるなり断ってくる。この方が結果が早くわかっていい。
4軒目でチェックイン。自転車は招待所の中へ。自転車から荷物を降ろそうとすると、そっと手を添えてくれる。
長いひとり旅で気持がヤワになっているんで、こんなことをされるとしびれちゃうんだよネ。ちょっと手を添えてくれるだけで作業が楽なんだ。荷物も運んでくれ。
お茶を飲むでしょうと、ポットとグラス、お茶の葉まで用意してくれる。招待所でこんなサービスを受けたのは初めて。居心地のいい宿なのでもう1泊しようかなー。
8月27日(土) 晴
蘭城〜※口鎮(ロンハイシャン) ※の部分は日本語にない文字でわからない。
走行距離:92.18q

蘭城市内は交通量が多いので、混まないうちにと7:30にスタート。土曜日のためか交通量はそれほど多くない。
10qほど走って市街地を抜けると25qほどの上り。この上りにバテて、11:30少し早いが昼食。その後も上りが続く。14:45天草店鎮という町に到着。
今日は久しぶりに暑い。ここで瓜とお茶を買って、瓜はその場で平らげる。瓜は水分と糖分補給に打って付けの食べ物。
天草店鎮の町では写真の様な面白い光景が。紅麻(こうま)という粟に似たものを道路に敷いて、クルマに挽かせ、脱穀している。
その後も写真の様な山の中を走り続ける。スタートから70q地点のトンネルで、長かった上りがようやく終わった。その後は急な下りもあったが、時速は12〜18q。
舗装も工事のためか時々剥がされているところがある。町があったら泊まろうと走っているが、このスピードではなかなか山を下れない。
18時ようやく町が現れた。多分ロンハイシャンという町だと思うが、確認するのを忘れた。小さな町なので自転車で一回り。
宿は数軒あったので、はじからあたってみる。3軒目まで同じ対応。パスポートをみて、どこかに電話。結果は泊められない。結果がでるまで時間がかかりイライラする。
4軒目の1階が食堂、2階以上が旅館に行くと、対応が前の3軒とは全く違う。パスポートを見せろとも、名前も聞かないでシャワー、トイレ付きで20元という。
あまりに安いのでびっくり。宿泊料を支払いチェックイン。領収書もなし。こういうのってイイねえ。ただ公安のほうは大丈夫なのか心配になる。
案の定この旅館の食堂で食事をしていると公安がやってくる。どうしてわかったのだろう。店主と何か話したあと、パスポートチェックも質問もなく立ち去る。
どういうことなのだろうか。俗な言い方になるが、店主が公安に相当顔がきくということなのだろうか。宿泊料が安いので、ビール、米飯、店主おすすめの料理2品を注文。
もったいないから全部平らげたが、やっぱり料理2品は多すぎる。昨日メールが送れなかったのは、上り坂と宿探しで疲れ、ベッドで横になっているうちに寝てしまったため。失礼しました。
8月26日(金) 晴
蘭城西区〜蘭城中心街
走行距離:30.78q

昨日までのここ数日は朝晩の冷え込みが強く、ハンドルを握る指の動きが鈍かったり、トイレが近くなったりしたが、今朝は冷え込みが弱く、からだの動きがいい。gpsを頼りに10qほど走り、黄河沿いの幹線道路に出る。交通料が多い。こんなに交通料が多いのは中国に入国して初めてだ。緊張して走る。黄河は進行方向の左側。川沿いに走っているのによく見えない。10時に中心街に到着。ホテルのチェックインには少し時間が早いので、銀行で両替。us$のトラベラーズチェックから元に。これまで両替に時間がかかってイライラしたが、ここではあまり待たされることもなく、スムーズに両替。さすが甘粛省の省都で、人口300万人を越える大都市の銀行。銀行員のレベルが違うのか。続いて宿探し。駅前から真っ直ぐに伸びる天水路にはホテルが集中している。招待所の看板を持った客引がうろうろしている。フル装備の自転車にヘルメット姿の私にはあまり声を掛けてこない。こちらから声を掛けると、手の平を横に振ってダメのジェスチャー。だったら
客をひくなというんだ。試しに招待所に1軒あたってみると、やはりダメ。泊まれる招待所を探すのも面倒なので、隣にあった旅館にチェックイン。ちなみに中国の宿泊施設のレベルは、低い方から旅社、招待所、旅館、あとは飯店など。私が泊まるのは下から2番目の招待所が多い。招待所はシャワー、トイレ共同。シャワーがないところもある。午後からは交通料が多いので、タクシーで白塔山公園へ。頂上からはゆったりと流れる黄河の眺めが素晴らしい。蘭城の町も一望できる。

写真は白塔山から見た黄河と蘭城の町並み
8月25日(木) 晴
天祝〜蘭城(ランジョウ)
走行距離:136.82q

一般国道312号線で蘭城を目指す。蘭城までは130qぐらいと思って、今日中に着けるという計算だ。タイミング良く正午に町があったので食堂に入る。
なんという町かわからない。外国人がめずらしのか、従業員が私の座ったテーブルに集まってくる。
会話集をみながら、この店のおすすめ料理を注文すると、料理を作っているおばさんが厨房に連れて行き、
料理の材料を指で指しながら、これとこれとこれを使って作るがそれでいいかという。一番わかりやすい。できあがった料理は、肉と数種類の野菜とうどんを炒めたもの。
質、量共に満足。うまかった。今日は時々町が現れ、変化があって楽しい。100q走ったところが河口という町。
旅社があったので泊まろうかとすると、高速道路入口の標識が目についた。高速道路の入口まで行って、入れれば蘭城を目指し、入れなければこの町に泊まることにする。
高速道路に入れたので蘭城を目指す。これが間違いのもと。一般道を続けて走るべきだった。少し走ると標識に蘭城47qの表示が。
蘭城は東西に細長いまちで、その距離50qだという。天祝から蘭城の西端までが130qだということだったのかもしれない。
時間は4:30。とてもこの距離を走るのは厳しい。10数q走ったところで蘭城西という出口があったので、そこで高速道路を出る。
資料が無いのでわからないが、蘭城の西端の蘭城市西区というところらしい。西区の中心まで迷いながら20qほど走る。
ようやく銀行やホテルがかたまっているところがあったので、この地区の中心だろうと宿を探す。1軒目の招待所は、宿泊料78元だという。
表示にはもっと安い部屋があるのに。おもしろくないのでこちらから断る。2軒目の旅館は宿泊料の表示は80元から。交渉の結果60元で宿泊。
部屋にはシャワー、トイレ、テレビ、電気湯沸器がついている。アメニティも揃っている。いい宿に当たった。
明日は蘭城の中心を目指し、黄河を見に行くぞ。
8月24日(水) 晴のち14:15頃から曇一時雨(17:00〜19:00)
古浪〜天祝(ティエンズージャン)
走行距離:91.25q

今日も朝から快晴。峠越えがひかえているので7:30にスタート。冷え込んで寒い。風景ががらりと変わった。これまでの砂漠、原野、畑から高原へ。
道路の両側は草原。9時30分頃になってようやく暖かくなってくる。スタートから下りのない上りが続き、午前中4時間30分で走った距離は35q。
時速は6〜8q。昼食後の時速は5〜6q。もう上れないと思ったところが峠。昼食後峠までの10qに1時間30分もかかった。
峠を越えると急な下りが5q。最高時速は56q。その後も下り基調で、天祝までの45qを2時間30分で走る。峠の手前から曇って、下りだったので寒いこと寒いこと。
上り坂と寒さに参った。天祝はチベット自治県。町の中の表示や商店などの表示は写真のように中国語とチベット語が併記されている。
チベット自治県なので何か変わったことがないかと町の中を歩いてみたが、表示以外は表面からは特に変わったものは目につかなかった。

8月23日(火) 晴のち14時頃から曇のち16時頃から雨
武威〜古浪(グラン)
走行距離:63.17q

久しぶりに朝から快晴。天気がよいので気持よくスタートできると思ったが、後輪の空気があまくなっている。
10回目のパンクだ。2ヵ所に極細のワイヤーが刺さっている。中国でのパンクはいつもこんな調子だ。
パンク修理をしていると、宿の人と宿泊客が数人見ているので、イージーパッチでゴム糊も使わないで修理。
修理したあと工具も使わないでフレームにホイールをセットすると驚いた様子。
スポーツ用自転車に乗っている人にはあたりまえのことだが、いわゆるママチャリというものに乗っている人には驚きかも知れない。
今日も高速道路を走る。昨日の途中からフリーのギアが、1番外側と2番目が入らなくなったので、
自転車を逆にして、歯ブラシとタオルでよく汚れを落とし、オイルをさしたあと、アジャストボルトで調整しておいた。調整結果が少し心配ったが正常に作動した。
天祝チベット自治県に泊まってみたいが、武威からだと百数十qある。1日で走るのは私の脚力では厳しい。2日に分けて走ることにする。
今日は距離は短いが、途中の古浪に泊まることにし、のんびり走る。たまにはこんな走りかたもいいかなー。
古浪では例によって1軒目の招待所で宿泊を断られ、2軒目の賓館にチェックイン。久しぶりにシャワー、トイレ付の部屋。宿泊料は50元(750円)だ。
夕食は宿で紹介してもらった店へ。ビール、米飯、料理はメニューを見てもわからないので、店のおすすめ料理を注文。
料理はうまかったが、ビールはやっぱり冷えてなくてうまくない。うまい酒が飲みたいなー。
写真は祁連山脈(携帯の写真ではよくわからない?)
8月22日(月) 晴れたり曇ったり14時頃から晴
永昌〜武威(ウーウェイ)
走行距離:82.28q

昨日のような悪路はもう走りたくない。昨日永昌の高速道路の料金所で何も言われなかったので、今日も永昌から高速道路を走ることにする。
料金所で今日も何も言われない。国道の整備の状況によるのか、係員によるのかわからない。午前中の4時間で80qも走って武威に到着。
昨日は午前中の4時間に40q。下り基調の高速道路とはいえ、こんなに早く着くとは。道路の状況によって、走行距離にこんな違いがでる。
武威でも鼓楼近くの旅社にチェックイン。ここのところ3日続けて、宿で断られることもなくチェックイン。早く着いたので昼食のあと文廟へ。
孔子廟の建物が松の緑に囲まれて建ち並んでいる。荘厳な雰囲気だ。宿に戻って自転車の手入れと洗濯。早く着けば着いたでいろいろと忙しい。
夕食は涼州市場へ。涼州面の看板が目につくが今日も米飯。このところ米飯を食べることが多い。中国のビールは冷えていないことが多いし、ワインもうまくない。
中国の酒もアルコール度が高いだけでうまくない。
そんなわけで、酒をあまり飲まないことと、米飯を食べることが多くなったことで体調がいいのかも知れない。70年近くも米の飯で育ったんだからあたりまえか。
写真は文廟の尊経閣
8/21(日) 晴のち9時頃から曇
山丹〜永昌(ヨンシャン)
走行距離:112.41q

一昨日、昨日と高速道路には入れず、一般国道312号線を走ったが、舗装もしっかりされていたので、今日も国道312号線を走ることにする。
ところが今日の国道312号線は、山丹市内を抜けると穴ぼこだらけ、舗装がはがれ砂利がむき出しているところが随所にあるひどい道路だ。
その上に上り基調。スピードが上がらずイライラする。10:30ごろとおりかかった西瓜畑の前で西瓜を売っている。小さいのを1個買う。
値段を聞いてびっくり。ただみたいだということがあるが1元(15円)だ。
11時頃とおりかかった畑で、畑仕事の休憩で西瓜を食べている人たちに呼び止められ、食べてゆけといわれる。
少し前に西瓜を買って半分食べたばかり、一切れだけいただいてすぐ走りだそうとするとパンをわたしてくれる。昼に食べてみたが、自家製の蒸しパンでとても美味しい。
昼食のあと5qほど走ると、国道312号線のすぐ近くに高速道路の入口があったので、だめでもともとという気持で入ってみると、係員は何も言わない。
そのまま高速道路を走って永昌へ。永昌の出口でも何も言われない。一般国道の状態が悪いと高速道路を走らせているのだろうか。
永昌の町では鼓楼の近くの招待所にチェックイン。河西回廊では町の中心部に鼓楼があるところが多い。宿もその辺りで探すことにしている。
まった宿は家族経営で皆面倒見がいい。夕食は米のご飯が食べたいというと、ご主人が店まで案内してくれ、その店のお薦め料理を教えてくれる。
21時頃になって、ご主人が一緒に公安に行ってくれという。外国人が泊まっているのを通報され、公安から呼び出しの連絡があったようだ。
公安へ行くとパスポートチェック。書類に何か記入し、記入し終わると質問もな黙って返してよこす。
21時過ぎに呼び出しておいて一言もない。いいかげんにしてくれ。公安は仕事だからいいけど、こっちは100q以上も走って疲れているんだぜ。
8月20日(土) 曇のち11:15頃から晴
張掖〜山丹(シャンダン)
走行距離:70.09q

朝一番で大仏寺へ。入場料はパスポートを出すと年齢が60歳以上であることが確認され半額。
伽藍には山門、大仏殿などの古建築が並び、古刹の雰囲気が漂っている。大仏殿の中には釈迦涅槃像が横たわり、その周囲には十大弟子などの塑像が並んでいる。
見ごたえ十分だ。大仏寺の帰りに釘を一本も使っていないという万寿寺木塔に立ち寄り、宿に戻って10時にスタート。
昨日から自転車は高速道路を走らせてもらえなくなったので一般道で行く。酒泉あたりから国道312号線も整備され心配はない。
山丹の町の資料や地図をもっていないので、町の中を少し走ってみる。ホテルが多い地域があったので、その中の安そうな旅社に泊まる。
8月19日(金) 晴一時霧(8:30〜11:15)
元山子〜張掖(チャンイエー)
走行距離:122.59q

久しぶりに朝から晴れている。張掖まではは昨日に引続きロングラン。
7:30の早い時間のスタート。高速道路に入ろうとすると、自転車はだめだという。中国ではじめて拒否される。
これからは一般道を走ることになりそうだ。8:30頃から霧が発生。9時頃からさらに霧が深くなる。
視界が悪く危険な状態。気温も低くなって寒い。レインウエアを着て、ライトをつけて、スピードを落として慎重に走る。
9:30頃から霧が薄れ、普通のスピードで走れるようになる。10:15頃ようやく霧が晴れて陽がさしてくる。気温も上がり、久しぶりに暑さが戻ってくる。
臨沢という町を走っていると自転車店があったので、パンク修理用のパッチを買おうと寄ってみる。
パッチを見せ、これがないかと聞いたが、何だかわからない様子。チューブがあったので張るゼスチャーをするとようやくわかったようだ。
こんな調子だからあるわけがない。張掖の中心にある鎮遠楼の近くにはホテルが多い。2軒断られ、3軒目でチェックイン。
もう宿泊を断られるのに慣れてしまって何も感じない。泊めてくれるところに泊まればいい。泊まった招待所の若い男性がとても親切でいろいろと面倒を見てくれる。
自転車店があるかと聞くと、地図を書いて説明してくれる。3軒あったので行ってみたが、この人何を言っているんだろうという感じ。
どの店にもなかった。パッチの残りは4枚。糊のいらないイージーパッチが9枚ある。これを使いきったら、チューブを1本買って、パッチの代わりにしようと思っている。
昔は古チューブを切ってパンク修理をしていたが、今の中国はそうかも知れない。昨日メールが送れなかったのは酒の飲みすぎ。
中国ではビールもワインもうまくないので、酒屋で女児紅という酒を買って、夜市で酒の肴を買って、部屋で飲んでみた。
アルコール度52%と強い酒なので、お湯割りで飲んでいるうちに酔ってしまった。失礼しました。
8月18日(木) 曇のち17時頃から晴
酒泉〜元山子(シューシャンツー)
走行距離:137.46q

スタート前、自転車をみると後輪の空気があまくなっている。9回目のパンク。タイヤの裏側を触ってみると、糸のように細い針金が2ヵ所に刺さっている。
注意して走っていても、こんな細い針金は避けられない。パンク修理をして8時スタート。高速道路の梧桐泉という出口の料金所で、この町にホテルはあるかと聞くと、
国道312号線を11q酒泉方向に戻ると元山子という町があり、そこにホテルがあるという。11qくらいなら戻ってもまあいいかと元山子の町を目指す。
ところが11q走っても町はみえない。20q以上走ってようやく町が見えてくる。いいかげんなことを言われて怒り心頭だ。
こんなに酒泉の方向に戻るなら、高速道路を17q先の高台まで走ったほうが、明日行く予定の張液に近づくのでよかった。
元山子の町にバテバテで到着。町には住宿が数軒ある。夕食がまだなので、食堂と住宿が併設されているところに泊まることにする。
メニューをみてもわからないので、金額を言って料理はお任せ。白米のご飯と肉入り野菜炒めのようなものがでてきた。
いつもと違って辛くなくうまい。住宿の奥さんがとても親切で、料理のこともそうだが、明日の朝食にパンを買いたいというと、近くの店まで案内してくれる。
ご主人は店の中でたばこを吸いながらテレビを見ているだけで何もしない。この店は奥さんでもっているにちがいない。
8月17日(水) 雨のち7:30頃から曇
嘉峪関〜酒泉(ジューティエン)
走行距離:43.5q

6時に目が覚めて外を見ると、思ったとおり昨夜遅くから降り始めた雨が、小雨にはなったもののまだ降っている。
雨なかは走りたくないので2度寝だ。7:30目が覚めると雨がやんでいる。食事をしたあと酒泉までは30q程度と近いので、少し空模様みて9時スタート。
途中でマウンテンバイクに乗った中国人の5人のグループに出会い、方向が同じなので、酒泉まで一緒に走ることにする。5人とも自転車はジャイアント。
メイド イン タイワン と笑って答えてくる。酒泉までに2回迂回するところがあり、迂回したところはいずれも砂利道で、昨夜からの雨でひどい泥んこ道。
自転車は泥だらけ。酒泉の町に入って皆で昼食。いつもは一人なので一品料理が多いが、今日は6人で6品の料理。
中国料理はおうぜいで食べると料理の数が増えていい。筆談をまじえて話ながら、楽しく美味しく食べたうえに支払いまでしてもらって感謝。
どこの国でもサイクリストにはお世話になる。本当にありがたいことだ。酒泉の町を少し走ったあと記念撮影。
彼らは先を目指し、私はこの町の中心的存在と言われている鐘鼓楼へ。四方に開けられ通路の上に建っている。
四方のどの方向から見ても美しい。鐘鼓楼の近くにはホテルが集まっている。1軒目、2軒目はいつものように、外国人でお断り。
3軒目は宿泊料の交渉が済んで、自転車の置き場を聞くと、自転車の人はお断り。自転車を嫌うところはこっちからお断りだ。
4軒目でチェックイン。自転車を洗って注油。自転車は3軒目と大違い、部屋の中へ。夕食を食べて宿に戻り、お湯をもらいにゆくと、事務所に家族が集まっている。
お湯が沸くまで家族の人たちと筆談をまじえながら雑談。とても暖かい感じのする家族で心が和む。いい宿に泊まることができた。
写真は一緒に走った中国のサイクリスト 写真は鐘鼓楼
8月16日(火) 晴のち13時頃から曇
嘉峪関滞在

今日は嘉峪関への観光。出かける前に宿の受付でタクシーで行けばいいのか尋ねていると、チェックアウトしようとした5人の宿泊客が、
宿の前のバス停から4路のバスで行けといい、一緒に宿を出てバス停まで案内してくれる。バス停は宿から数十メートル。運賃は1元。
タクシー代を節約できた。バスに乗ると、日本語で「日本人ですか」と声をかけられる。西矢さんといい、ご主人が岡山県生まれ、奥さんが吉林省生まれで現在尼ヶ崎に住んでいるという。
ご主人はやや日本語がわからないところがあるが、奥さんは中国訛りはあるものの日本語は堪能。日本から中国を旅行中で今日は嘉峪関へ行くところだという。
西矢さんに聞いてはじめて知ったが、中国の施設の入場料は、60歳以上は半額、70歳以上は無料。日本人もパスポートを見せればこの制度が適用されるという。
入場券売場でパスポートを見せると半額になった。敦煌では外国人料金を適用され、中国人より高い入場料を払ったのに。中国は入場料が高い。
ちなみに敦煌の莫高窟の入場料は180元(2700円)。観光の話になるが嘉峪関は万里の長城の西端にある関所。
城壁に囲まれた広大な要塞をみると、今シルクロードを走っていることを実感し、感慨深いものがある。万里の長城博物館では、万里の長城の全容を知ることができた。
ここは見る価値が十分あるところだと思った。昼頃宿に戻り、市場で昼食をしたあと、自転車の手入れをして昼寝。鋭気を養い明日への走りに備える。
8月15日(月) 曇のち9:10頃から晴れたり曇ったりのち12:00頃から晴
赤金堡〜嘉峪関(ジャーユーグァン)
走行距離:103.67q

今朝も3日続きの曇空のなか7:30スタート。曇空でもこれから晴れてきそうな明るい曇空。思ったとおり9:10頃少し陽がさしてくる。
暖かくなってきた。夏なのに暖かくなってきたという表現がぴったりの感じだ。この地方は砂漠地帯なので、天気がよければ暑く、夏でも天気が悪ければ寒いのだろうか。
甘粛省に入ってから高速道路を走っていると、立体交差しているところでは必ず写真のような「シルクロード国際旅行フェスティバル」の横断幕が掲げられている。
特にどこかでイベントでも行われているのだろうか。ご存じの方お知らせください。嘉峪関の町に着いて、少し町の中を走ってみる。
新華北路から新華中路にはホテルや商店が集中している。このあたりに泊まることにし、招待所をあたってみたところ、多分外国人だからということで、
1軒目、2軒目で断られる。3軒目でチェックイン。町の中心なのに40元と予想外に安い。ただしエレベーターのない4階。
安いので我慢。宿のすぐ近くに市場があったので出かけ、ハーフパンツがあったので30元を30元に値切って購入。
これではく物の心配がなくなった。夜は夜市に出かけ、そこで夕食。昨日も今日も白米のご飯を食べて満足。
8月14日(日) 曇のち9:15頃から雨
玉門市〜赤金堡(チージェンチェン)
走行距離:52.56q

昨日に続き7:30の早いスタート。濃霧。クルマはライトをつけて走っている。町中をgpsを頼りに高速道路に乗る。8:30霧が薄れてくる。
晴ることを期待して走っていると、9:15昨日と同じように小雨が降り出す。高速道路の最初の出口でこの町にホテルはないかと聞くと、
この町にはない、24q先の赤金堡にあると言われ、仕方がないので赤金堡を目指す。11時小雨から霧雨に変わる。
11:30高速道路の赤金堡の出口に到着。先を目指すかこの町に泊まるか迷ったが、空模様からこの町に泊まることにする。
正午にこの町に到着。招待所が2軒ある。その内の1軒にゆくと受付に誰もいない。もう1軒の招待所に行こうとすると、宿泊客に声をかけられ、
電話をして招待所の人を呼んでくれる。招待所の人がくると招待所の人と宿泊客が荷物を部屋まで運んでくれる。皆親切なんだよナー。
チェックインのあと、昨日とは逆に雨が強く強まる。不幸中の幸い。昨日用意しておいたパンで昼食。
雨で濡れたものを干したり、自転車の手入れをしたあと、近くの市場で明日の食料を購入。商店でワインを購入。
わからないテレビを見ながら、昼間からワインを飲んで過ごす。いつの間にか眠ってしまい、16:30目が覚める。雨はほとんど止んでいる。
18:15傘をさすほどの雨ではないので夕食を食べに近くの食堂へ。メニューを見てもわからい。表の看板に絵がでていたものを注文。
焼きうどんのようなものだったが、肉やいろいろな野菜が入っていてうまい。量も多く満足。食事をして表に出るとようやく雨がやんでいる。
明日の天気に期待。
8月13日(土) 曇一時雨(9:00〜13:30)
橋湾〜玉門市(ユーメンシ)
走行距離:50.41q

今日は嘉峪関までの距離を稼いでおこうと、曇空のなか7:30の珍しく早いスタート。ところが9時頃から雨が降り出す。
空模様からすぐにやみそうもないので、道路が立体交差しているところで、レインウェアを着て、バッグにカバーをかけ、雨仕様に整えて走り続ける。
町があるのは30〜35q先の玉門市。ここまで走って泊まることにする。11時頃から少し止んだので先を目指そうとすると、玉門市が近づいたところで又降り出す。
気持を惑わす降りかただ。あきらめて玉門市に泊まることにし、高速道路から降りる。せっかく早い時間にスタートしたのに、なにもならない。
宿は2軒断られ、多分外国人だから。3軒目でチェックイン。皮肉にもチェックインしたとたんに雨が止んだ。
雨で濡れたものを干したり、洗濯をしたり、ついでに雨で濡れた靴も石鹸でよく洗った。これで足が匂わなくなる。
8月中旬だというのにとにかく寒い。天気が悪いからだろうか。町の中では皆長袖や上着を着ている。
この地方はこんな気候のようだ。明日は何を着て走ろうか。
8月12日(金) 曇13:15ころから時々小雨
瓜州〜橋湾(シャオワン)
走行距離:93.04q

風がやんでいる。一昨日、昨日の猛烈な風が嘘のようだ。曇空、無風状態のなか8時スタート。
10時休憩。10:10走りだすと弱い向風が吹きはじめる。10:30向風が強まりだす。時速は7〜8q。11:30さらに向風が強まる。
時速は6〜7q。このところ風のことばかりで恐縮だが、砂漠の中で3日も続けて強烈な向風にあうと、スタミナを消耗するだけでなく、走る気力もいささか衰えてくる。
12:30ちょうど風よけになる橋があったので昼食。食料は昨日キャンプに備えて買ったので十分にある。
メニューは2種類のバン、蜂蜜、ドライフルーツ、梨、コーヒー、お茶。昼食を終え、13時走りはじめようとすると、嬉しいことに今まであれほど強く吹いていた風がピタリとやんでいる。
今日の風はどうなっているんだろう。風がやんだと思ったら、13:15今度は小雨がパラつく。レインウェアを着るほどではないが、その後も時々小雨がパラつく。
小雨が降った影響か、気温が下がり、この夏の時期なのに長袖シャツ1枚では寒い。半袖シャツを重ね着。砂漠の中で天気が悪くなったのは、今回のツーリングでははじめて。
砂漠の中では天気が悪くなると、これほど気温が下がるのだろうか。16時さらに気温が下がってきた。半袖シャツをもう1枚重ね着。
17:30高速道路をおりて、1qほど走ったところに住宿を併設している食堂があったのでここで夕食。白米のご飯は丼に山盛り、すごい量だ。
食べ終わり、雨は今はやんでいるが、いつまた降り出すか心配なのでそのまま泊まることに。なんと宿泊料10元。シャワーなし、トイレは共同のボットントイレ。
でも店の人はとても親切。ポットに入れたお湯を持ってきてくれたり、自転車は雨が降るといけないので、部屋の中に置かせてくれる。
8月11日(木)晴
敦煌から90q地点の砂漠の中の橋の下〜瓜州(グアジョウ)
走行距離:32.05q

風が止むのを期待して朝を向かえたが、風が止まない。昨日より強くなっている。時速は5〜6q。
ハンドルをとられ、もがきながらの走りが続く。交通量が極端に少ないことだけが救いだ。7qほど走った有料道路料金所手前で瓜の店に呼びこれる。
どこから来たの、日本人と聞かれ、地図を見せながら、こういうルートを走っていると説明。
会話集を見ながら雑談。なにも買わないのに瓜、肉まんのサービス。土産に乾燥した瓜とウーロン茶もいただく。
写真を撮らせてもらおうとしところへ観光バスが到着、商売に集中してしまったため、写真も撮れず、名前も聞けず失礼する。
残念。料金所を通って、中国はどこの有料道路も自転車は無料。自転車通行禁止でも何も言われない。料金所から瓜州までは25q。
ここから10qほど走るとようやく砂漠が終わり、街路樹や畑、民家が点在する。進路が変わったため、風が今まで真正面から受けていたのが、進行方向右横からとなる。
時速はq12〜13q。横風の影響を受けるとはいへ、一昨日の午後から今までの猛烈な向風の中での走りと比べると別世界のようだ。
13時に瓜州に到着。時間は早いし、30qほどしか走っていないが今日はこの町に泊まることにし、町の中心あたりにあった招待所に泊まる。
宿では自転車の手入れ、今朝調子が悪かったガソリンストーブの手入れ。なんとか今日は使えたが、ホワイトガソリンでないとすぐ調子が悪くなるようだ。
砂漠を走って汚れているので洗濯。キャンプに備えて食料の買い物。せっかく早く着いたのに、ゆっくりすればいいのに、こんなことをしている。貧乏性はなおらないなー。
8月10日(水) 曇のち10:30頃から晴
敦煌〜敦煌から90qほどの砂漠の中の橋の下

はじめに書き忘れていたことを2点書いておきます。1点目は、道路標識の件、新疆ウィグル自治区では中国語とウィグル語の併記で、私には読み方がわからない。
甘粛省に入ると中国語とローマ字併記、これで読み方がわかる。2点目は観光施設の入場料の件、莫高窟の入場料は中国人160元、外国人180元。
gdp世界第2位になろうとしているのにこんなことが行われている。よせばいいのに。今日はスタート前に同宿だった中山さんと記念撮影。
彼は1日観光ツアーへ。私は瓜州を目指し、お互い8時スタート。今日のルートも無補給地帯と聞いている。午前中は順調に走って、正午に持参の食料で昼食。その後も無補給地帯が続く。
途中で瓜が数十個落ちている。なんでこんなにいっぱい落ちているいるのだろうかとみると、少し古いようだ。いいのを選んで食べてみるとうまい。
その場でひとつ食べ、重いのでもうひとつだけ自転車に積む。いっぱいあるのにもったいない。12:30頃から強い風が吹きはじめる。向かい風だ。
写真のようなところで風を避けるところがない。時速はこの時から6〜7q。我慢の走りが続く。18:30ついに風に負け、目的地瓜州到着をあきらめ、写真のような砂漠の中の橋の下にテントを張る。
風を避けるところがない道 砂漠の中の橋の下にテントを張る。
8月9日(火) 曇
敦煌滞在

昨夜から飛天賓館のドミトリーで、夏休みをとって大阪からやって来た中山遼さんと同室。久しぶりに日本語で雑談した。
今日は1日観光ツアー。ガイドが同乗しているが、中国語なので何を言っているのか全くわからない。彼女も日本語も英語も全く通じない。
そんな中先ずです鳴沙山(めいさざん)、月牙泉(げつがせん)へ。集合時間は筆談。鳴沙山の谷あいに湧く三日月形の泉はよかった。
シルクロードといえば、月の砂漠をラクダで歩む隊商というイメージがある。実際にラクダに乗って、鳴沙山の砂漠を観光できる。
観光がメインでシルクロードのイメージダウンのような気がするのは思いすぎか。午後からは待望の莫高窟へ。壁画と彫刻が素晴らしい。
特に壁画は内容、保存状態ともに仏教美術の粋をなすもので、「砂漠の大画廊」と形容されるにふさわしいといえる。夜は中山さんと沙州市場へ。
ネオンが素晴らしい。赤色が映えている。そしてなんと月夜だ。生ビールがうまい。
写真は月牙泉 莫高窟は撮影禁止なので写真は入口ふきんの莫高窟の牌楼 写真は夜の沙州市場、月がでている
8月8日(月) 晴
柳園〜敦煌(トンホアン)
走行距離:133.25q

柳園から敦煌までは120〜130q。無補給地帯と聞いていたので、昨日途中でのキャンプを想定して食料や水を購入。
準備万端で7:30いつもより早めにスタート。スタートして75qは写真のような砂漠。でも昨日までとはうって変わって、道路の状態もよく、交通量も極めて少ない。
しかも弱い追い風。久々に気分よく走る。11:15、75qほど走ると西湖という村があり、食堂や商店がある。
村の直前で瓜を買ってひとつ平らげたので食堂があってもまだ食べる気がしない。先を目指す。その後も道路沿いでは瓜や西瓜を売っていたり、時々食堂や商店がある。
途中で道路沿いに瓜が落ちている。大きい瓜だ。昨日買い込んだパンと拾った瓜で昼食。瓜は大きいので食べきれず、もったいないので半分はビニールの袋に入れて走る。
15:00残りの半分を食べたが味は変わらず、うまい。用意万端で走るとこんなものなのか。サイクルメーターが作動しなくなる。
ハンドル側の液晶部分は大丈夫なので、フォーク側の電池を換えると復活。宿に着いて荷物をおろし、自転車置き場へ移動しようとすると、前輪のタイヤの空気があまくなっている。
8回目のパンクだ。パンク修理をして明日以降に備える。夜は沙州市場と商業一条街へ。はだか電球をともした露店が連なり、人々で賑わっている。まるで縁日のようだ。
ここで羊の頭の皮や肉を削いで串に刺して焼いている。ゲテモノかもしれないがうまい。露店でこういうものを食べるのが結構楽しいんだ。明日は敦煌の1日観光ツアーだ。
写真は柳園から敦煌に向かう途中のゴビ灘
8月7日(日) 晴
沙泉子から100qの砂漠〜柳園
走行距離:30.38q

残りの水は500cc。水が少ないことが少し心配が柳園までは30qほど。大丈夫だろうと走りはじめる。今日も昨日に引き続き工事中のところが多い。
自転車が悲鳴をあげている。リム打ちパンクとスポークが折れないか心配。お尻が割れそうに痛い。少しづつ工事をするとかこの工事なんとかならないねかなー。
クルマは窓を閉めればいいけど、自転車はほこりだらけ。参った。道路工事と悪路にうんざり。明日は敦惶を目指すが、120qの無補給地帯が続くという。
今日は明日のことを考え、距離は短いが柳園に泊まることにする。柳園駅前までくるとバンを焼いている。まだ11:30、少し早いが大好きなパンと豆乳で昼食。
駅までの途中に招待所が何軒かあったが、ここですすめられた招待所に泊まることにする。宿泊料は60元を値切って50元で泊まる。だんだんケチになってやだネー。
時間が早いので、工事中の道路で砂だらけになった自転車の手入れ、洗濯、身体も洗濯、明日のキャンプを想定して食料の購入、メールの送信。
あとは中国のビールはうまくないので、ワインはどんな味か買ってきて、昼間から飲んでいる。たまにはこんな日があってもいいよネー。
8月6日(土) 晴
沙泉子(シャセンツ)〜沙泉子から100q地点の砂漠
走行距離:98.86q

昨日の宿泊地は空欄になっておりましたが、今日食堂で聞くと沙泉子という。書き加えてください。昨日に引き続き砂漠地帯が続く。
朝からいきなり30q上り。時速6〜7qで4時間かかってようやく上り切る。砂漠の中の単調な景色の中で、下りのない上りだけの道はきつい。
少し下ると清清峡の町。食堂と商店が並んでいる。ちょうど昼時なので、ここで昼食。今日中に着けるかどうかわからないが柳園を目指す。
端出してすぐ、道路工事にぶつかる。砂漠の中で舗装を剥がしているのですごい砂ほこり。クルマの巻きあける砂ほこりで頭のてっぺんから足の先まで砂だらけ。
工事中でないところは穴ぼこだらけの悪路。クルマは穴を避けて蛇行しながら走っている。危なくてしようがない。
そうそうに柳園はあきらめ、100qほど走ったところでテントを張ることにする。地名はわからないが砂漠のど真ん中でキャンプ。水が少ないことが心配。
8月5日(木) 晴
駱駝園子〜
走行距離:102.84q

スタートしてすぐ砂漠地帯に入る。どこまでも荒涼とした砂漠が続く。スタートして70qほど走ったところにはじめてぽつんと食堂が現れる。
続いて80qほど先にも食堂が現れる。ここから今日の目標の清清峡まではあと50q。
目標を切り替えてスタートから100q地点でキャンプをすることにする。ちょうど100q地点に食堂があった。
ここで夕食をとってキャンプをすることにする。食事が終わって冗談にこの食堂に泊めてくれというと簡単に泊まっていいという。
なんと看板はでていないが、食堂の裏には住宿があった。常連の運転手が泊まっているようだ。運がよかった。
8月4日(木) 晴
吐密(ハミ)〜駱駝園子(ロートシャンズ)

走行距離:74.28q
朝一番でハミ王陵へ。入口で9時の開館を待って入場。
敷地内にはタイルでおおわれた墓、木造の墓、エイティーガール寺院(新疆イスラム寺院の通称)、歴史陳列館がある。
私が素晴らしいと感じたのは、王陵へ行ったのに、王墓ではなくエイティーガール寺院のタイルの外壁。
墓に眠る王様ごめんなさい。今日はハミ王陵へ行ってからの9:30の遅いスタート。
高速道路には入らず、一般国道312号で駱駝園子に向かう。緑も多く、用水が流れ、交通量も少ない。ぶどう畑が広がる。
町や商店街もある。緑が多いためか涼しく感じる。10:30通りがかった店で揚げパンと豆乳のおやつ。ハミ名産の瓜も購入。
正午近くに通った町で餃子とスイカで昼食。今日は雰囲気がよくリラックスして走って駱駝園子に到着。
町に入ってすぐ住宿が3軒あった。1軒目で宿泊料を聞くと20元。即決だ。ドミトリーだが部屋は私一人。
日本人ということで宿が気をつかってくれる。宿の息子が元をドルに替えてくれという。
中国銀行で両替した時の書類を見せ1ドル6.38元がレートと説明すると7元よこしてくる。レートは納得したようだ。
夜今日の記録をつけていると、部屋へ警官が二人やってくる。パスポートチェックだという。何かパスポートをみて記録し、ありがとうと言って帰る。
友好的な態度だったが20:45だぜ。いい加減にしてくれ。

写真はエイティーガール寺院
8月3日(水) 晴
三道鈴〜ハミ
走行距離:82.95q

少し風が強いが、一昨日、昨日のようなハンドルをとられるような風ではない。
ハミまで乗って行けと言われたが、言葉がわからないので、気持ちで丁重にお断りする。
トラックに乗せてくれ、一緒に食事をしたり、泊まったり、すっかりお世話になった張さんたちにお礼を言ってスタート。
午後になると風も弱まる。ハミ50q手前からはほとんど風がなくなる。
このところ、トルファンを中心にの前後の地区では暑さと熱風、ピチャンからの日間は強風に苦しめられた。
そんなわけでメールが乱れたり、遅れてご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。
8月2日(火) 晴
ピチャンから73q先の橋の下〜三道鈴 曇
走行距離:46.35q

朝になっても昨日からの風はいっこうにやみそうもない。次の町を目指して走りはじめたが、ハンドルをとられる。
慎重に危ないと感じた時はすぐ下りて慎重に走る。水が少なくなってきた。この区間は大型トラックが多い。
20qほど走るとクルマが長い列をつくって止まっている。ちょうど風よけになって走りやすい。事故で片側通行で渋滞していたのだ。
このため15qにわたり渋滞。事故を起こした運転手には申し訳ないが、風よけで走りやすい。
風よけのクルマがなくなってから、また強い風の中を走り続けていると、ふらふらと走っているのを見かねたのか、
写真のような超大型トラックが止まり、自転車をこのトラックに乗せろという。強い風の中助かった思いだ。
ハミマ迄変圧器を運ぶ途中だという。重い荷物で時速は20〜30q。三道鈴という町で泊まり、明日ハミに行くという。
私も一緒に泊まることにする。食堂と旅館を併設しているところで、よく泊まるのだろか、他の運転手や食堂の主とも談笑している。
宿泊料15元。夕食はビール、3種類のおかず、白米のご飯で20元。ちゃんと安いところのお得意さんになっている。
久しぶりのご飯がうまい。ただし、食堂を併設しているのにトイレはない。青空トイレだ。
8月1日(月)
ピチャン〜73q先の橋の下 晴
走行距離:73.26q
スタートして20qほど走ると、めずらしく樹木がしげり、ぶどう畑が広がる。用水も流れている。
gpsはいつもの高速道路ではなく、一般国道312号をさしている。途中で高速に入るところあったが、gpsに従って走ってみることにする。
緑が多いと涼しい。昨日までの暑さがウソのようだ。10:30七克台という町で、豆乳とあげパンのおやつ。豆乳がうまい。
細かく砕いた大豆の粒が残っている。これがうまさのもとか。45qほど走るとまた砂漠地帯。
50qほど走ると高速と合流、一般道はなくなる。70qほど走ると横風注意の標識が出ている。強烈な風でハンドルをとられる。
危ないので自転車を下りて押すことに。14:30橋の下の日陰で休憩、風のおさまるのを待つ。18:30になっても風はいっこうにおさまる様子がない。
今日は走るのをあきらめ、ここにテントを張ることにする。夕食にガソリンストーブを使おうとするが、あまりに風が強く炎が飛ばされて使えない。
お湯が沸かせないので、パン、クッキー、チーズ、干しぶどう、コーヒーで夕食。テントを張ったがバタバタして、テントごと飛ばされそう。
とうとう一晩中吹き続き、ウトウトしただけでよく眠れなかった。
7月31日(日) 晴
トルファン〜ピチャン(シャンシャン)
走行距離:113.43q

スタートしようとすると前輪のタイヤの空気が抜けている。出鼻をくじかれた。とりあえずチューブを交換してスタート。
今日は暑さに備え、いつもの水2.5リットルに加え緑茶の0.5リットルのペットボトルを追加。
昨日1日観光ツアーで来た火焔山の前を通る。昨日は入場料を払って中に入ってたが、展示もたいしたことはないし、道路から見るだけで十分。
無駄な観光だった。高温と熱風は一昨日と変わらないが、火焔山を過ぎて少し走ると、樹木が生えて日陰のあるところもある。
途中には道路沿いに町もある。食事や補給ができる。ピチャンについて地元の人と話しをすると、町の名をピチャンとは言わず皆さんシャンシャンという。
よくわからないがウイグル語なのだろうか。ホテルを探すが、安いホテルは日本人ということで軒並断わられる。
中心街からはずれたところでようやく泊まることができた。当局の締め付けが強い町なのだろうか。走るよりホテル探しで疲れた。
7月30日(土) 晴
トルファン滞在

今日は1日観光ツアー。10時ホテルに日本語を話せるウイグル人のタクシー運転手が迎えにくる。
温厚そうなとてもいい感じの人だ。ホテル従業員のお母さんとよく似ているのですぐわかった。
先ず銀行で両替。トラベラーズチェックを元に両替するのに40分もかかった。中国銀行の本店でこんなに時間がかかって、出足から疲れた。
アスターナ古墳群、火焔山、蘇公塔、交河故城、カレーズを回ったが、1日観光ツアー料金300元、入場料全部で170元。
1日かけて、高い料金を払ってまで見て回る価値は私にはなかった。暑いだけでホテルに戻ると疲れてくたくた。
トルファンの観光は青年路のぶどう棚、バザール、わざわざ入場料を払わず道路から見る火焔山で十分だ。ドミトリーに入ると部屋が雑全としている。
使ったものが散らかりほうだい。あまりにひどいので驚いた。昨日同宿だったフランス人の男女はもういない。
旅のはじはかきすてなのか、こんなバックパッカーがいるとは残念だ。

写真は西遊記でお馴染の火焔山
7月29日(金) 晴
達坂城〜トルファン
走行距離:103.61q

今日は暑くて参った。写真のように道路の両側は大粒の砂利。その上を通ってヘアドライヤーの温風のような風が吹き付ける。
ホテルで今日の気温を聞くと39度。道路上の気温はさらに高かったのだろう。日陰が全くない。
とまっている大型トラックの陰で休んだり、橋の下で休んだり、日陰を見つけては休憩をとりながら走り続ける。
16時国道312号からトルファンに入り、ぶどう棚の続く青年路を100mほど入ったトルファン賓館のドミトリーに泊まる。
中国に入ってからgpsの中国正規版のソフトが大活躍。町を抜け、目指す方向の幹線道路にでるのに本当に楽だ。
特にウルムチでは宿から国道312号にでるのに15qほどあったが、迷うことなくすんなりでられた。
トルファンでは旅行会社で1日の観光ツアーを申し込もうとすると290元、高いのでやめた。次にバザールへ。
ウイグル族の帽子をかぶった人やイスラム風のスカーフをかぶった女性が目につく。商品もウイグルの帽子、スカーフ、刺繍などが売られている。
食べ物もカバブやポロ、ラグメンなどウイグル料理がそろっている。ホテルに戻って1日の観光ツアーについて尋ねると、従業員の息子がタクシーの運転手。
1日観光ツアーを昼食付きで300元で交渉成立。旅行会社で申し込まなくてよかった。明日は1日観光ツアーだ。
7月28日(木) 晴
ウルムチ〜達坂城(ダーバンチョン)
走行距離:97.14q

ウルムチからトルファンまでは200q以上ありそうだ。
私の脚力では1日で走るのは無理なので、ウルムチから100qほどの位置にある達坂城という町を目指す。
国道312号に入ってから、進行方向左側に万年雪だろうか、写真のように雪をかぶった山が見える。
名前がわからない。わかる方がいたら教えてください。達坂城に入るとさらに近くに見える。
達坂城の町の中心は狭い。自転車で一回りすると宿は4軒あった。外観から住宿と看板が出ている宿に泊まることにする。
奥さんが宿泊手続きを済ませたところへご主人がやってきて、外国人を泊めていいか警察に電話。真面目な人なのだろう。
歩いて1、2分の警察に一緒に行ってくれという。何か手続きがあるらしい。
警察に行くとパスポートをコピー、さらに外国人住宿登記表に記入して提出するように言われる。奎屯の民警とは違って紳士的。
宿のご主人が許可証のような書類を受け取る。面倒くさいけど他に泊まるところがないからしょうがない。宿のご主人はかなり緊張していたが、私は奎屯
で民警に付け回されたりしたのでこのくらいのことではもう驚かなくなっている。
7月27日(水) 晴
ウルムチ滞在

今日はウルムチに滞在して、買物に1日を費やす。ウルムチでは商店が開店するのは10:30。
先ず自転車店へ。ところが今日は閉店。がっかりして帰ろうとするとシャッターが開いた。
閉店なので店のスタッフがサイクリングに出かけるところだった。ジャイアントの専門店のようだ。
ジャイアントのマウンテンバイクがずらっと並んでいる。部品を買いそろえる。
インナーワイヤー2本、アウター、指切りグラブ、合計77元。1155円。安い、仰天の価格だ。
次に少しでも荷物を軽くしようと、郵便局で資料やカイドブック等を郵送。次にデパ地下でチーズを購入。
中国に入ってチーズを売っている店があったのは初めて。中国の料理にチーズはあわないからなー。
コーヒーもなかなか売っていないので、スーパーでコーヒー、砂糖、蜂蜜を購入。最後にスポーツ用品店でハーフパンツを購入。
60元。900円。ウルムチは大きな町なので買物をするより店を探すのが大変。
でも中国は料理はうまいし、物価は安いし、移住すれば豪華な年金生活が送れそうだなー。
自転車のスペア部品はそろったし、食料も買いそろえたし、明日からまた走りはじめよう。
7月26日(火) 曇のち晴(9:30〜14:30)のち曇
呼図壁(コズシャー)〜ウルムチ
走行距離:110.98q
朝のうち曇。8:30曇っていると走りが楽だと走り出すと、9:30になるともう晴れてくる。
11:30頃から風が強まり、ところどころで土煙があがり、遠くが霞んで見える。でも追い風だ。風に乗って好調に走る。
国道312を下りると、追い越していった日産車から下りてお茶のペットボトルの差し入れ。日本びいきの人だ。
ウルムチの町に入ってから、各国のバックパッカーが集まる宿に泊まろうと行ってみると1軒目が満室。2軒目に行くとここも満室。情報交換ができず残念。
ガイドブックに載っている宿に行こうと走り出すとすぐパンを焼いている店があった。パンが好きなのでこういう店があるとすぐ立ち寄ってしまう。
パン屋で近くに安い宿がないかと尋ねると、すぐ近くにあると言われ、行ってみると宿泊料50元、安いのですぐ泊まることにする。
宿の近くの公園ではイベントなのか、毎日なのかわからないが、数十軒の屋台が出ている。そのうちの1軒でモツの煮込みとパンを注文。
うまい。酒があればなー。このところニンニク、ニラ、トウガラシの入った料理ばかり食べている。臭いが身体にしみつきそう。
7月25日(月) 晴
石河子市〜呼図壁(ヨズシャー)
走行距離:72.61q

9:45ホテル近くの中国銀行の支店に行くともう開店している。9時開店という。ホテルでいいかげんなことを言われ、スタート時間が1時間のロス。
支店では両替ができない。atmで引き出そうとすると機能しない。他のatmの前にも誰もいない。どうも現金を入れていないようだ。
仕方がないので、本店の場所を聞いて行ってみる。ドルと試しに円を両替してみる。担当者が円を扱うのが初めての様子。
ベテランらしき人と相談している。結局両替にかかった時間が40分。遅くて参った。それ以上に、私の後に並んでいる人はいらいらしたことだろう。
10:50あらためて銀行の前からスタート。ここから国道g312に入るまでに12q。またいつもの原野と畑の無補給の一本道。
16時国道から下りて呼図壁に向かう。10qほど走るとようやく町らしいところに着いた。最初にあった旅館に泊まる。宿に荷物を下ろし、近くの市場で買い物と食事。
うどんを打っている店があった。親指ほどのうどんを手で器用に素早く鉛筆ほどの太さにする。
手捌きが見事。これを茹で、肉と野菜を混ぜて皿にのせて出してくれる。うまい。量も日本の2倍以上。今日は一昨日、昨日のような当局のチェックはあるまい。
明日はいよいよウルムチを目指す。
7月24日(日) 晴
奎屯〜石河子市(イークージシ)
走行距離:128.51q

中国に入ってからフロントの3段だけの変速で走り続け、ピットツルオカさんにはご心配をおかけしましたが、フリーのアウターを交換して走りが楽になった。
これまでほぼ平坦な道ばかりで苦しい走りがなく幸運だった。今日も原野と畑の中の一本道。
石河子市入口手前7qにガソリンスタンドがあったが、それまでは全くの無補給地帯。石河子市は面積が大きい町なのだろうか。
町の入口から中心部まで10qほどもある。旅社があったので宿泊料を聞くと40元、昨日の様なことがなければよいがと思いつつ、安いので泊まることにする。
荷物を下ろし、近くの市場で食事と買い物。何もかも安い。驚くことに北京ダックが16元だ。ところが宿に戻ると昨日と同じこと。
また密告があったようだ。宿の奥さんが日本人は泊められないという。今日は公安も民警もいないが宿を移ることにする。
近くに旅社が2軒ほどあったので、試しに泊まれるかどうか聞いてみると、やはりだめだった。これが中国の実態か。
中国元の現金が少なくなってしまったが、土日で両替ができなかったので、明日は銀行で両替してからスタートすることにする。
ホテルのフロントで銀行の開店時間を聞くと10時。ウルムチまで走ろうと思ったが、ここからはまだ100q以上あるので、適当な町で泊まろう。
7月23日(土) 晴
奎屯滞在

7:30朝食ができる店がないかと宿を出ると、すぐ近くに小包子の店が開いている。この店でサイクルスーツで身をかためた2人の男性が食事をしている。
小包子と豆乳を注文しておいて、宿から自転車を持ち出し、2人の隣に座らせてもらう。
2人に自転車を見せ、修理できる店がないかと尋ねると、食事代を払ってくれたうえに、自転車店まで案内してくれる。
開店は9時、その時間に行くように、仲間が待っているのでと言って走り去る。
すぐ走り去ってしまったので、せっかくいい人に出会って親切にしてもらったのに、名前も聞けず、ろくにお礼もできなかった。申し訳ないことをしてしまった。
自転車店に10時に行くと、安いマウンテンバイクは置いてあるがパーツ類はない。それでもよくわからないメーカーのアウターで交換、満足できる状態ではないが変速できるようになった。
修理代は2元。円で30円。日本では考えられない値段だ。宿から自転車店に行くまでの間に6回目のパンク。細い針金状のものが3ヵ所に刺さっている。
チューブを交換。チューブ代は20元。アウターの交換とチューブ代、なんだか代金の内容がよくわからない。
宿に戻ってパンク修理をしたり、雨で濡れたテントやブルーシートを乾かしていると公安がやってくる。日本人が泊まっていると密告(通報)があったのだろうか。
パスポートとビザを見て、旅行かとの質問で簡単に終わり。宿の奥さんが心配そうにしていたので、安心させるために、公安と握手をしてみせる。
そのあと理髪店に行きたいというと、奥さんが店まで連れて行ってくれる。宿に戻ると今度は男が警の身分証明証を見せ、パスポートの提示を求められる。コピーまでとっている。
昼食をして宿に戻るとまだ待っている。買い物に行くとあとについてくる。宿に戻ると奥さんにいろいろ話しをしている。奥さんの話しでは、この宿は外国人が泊まる宿ではない。
外国人が泊まる宿に移るようにということなので、民警のいう宿に案内するという。冗談じゃないと思ったが、宿がどんなめにあうかわからないので移ることにする。
案内されたホテルは200元。高いので自分で探すという。ホテルを探していると民警が自転車でついてくる。面白くないので、信号と上り坂で尾行をはずしてから、落ち着いて宿を探す。
食堂の2階に住宿(民宿)があったので泊まることにする。また民警がくるといけないので、自転車は目立たないところに置いてもらい、外には行かずこの食堂で夕食を済ます。
中国ではまだこんなことがあるのだ。残念ながら民主化はまだまだ先なのだろうか。
7月22日(金) 晴
托托〜奎屯(クイトン)
走行距離:124.99q

今日も原野の中の一本道、全く店がない。それでも右手に雪の残った美しい天山山脈(?)が見える。正午になっても店がない。
持参のパン、チーズ、蜂蜜、コーヒーで昼食。30分ほど走ると食堂と商店が並んでいる。どうもタイミングが悪い。スタートから60q地点で4回目のパンク。
70q地点にガソリンスタンドと宿が並んであったが、道路沿いで音がうるさそうなので先に進むことにする。90q地点からは草も生えない、砂漠のようになる。
100q地点をすぎて工場のような建物が続く。120qをすぎてようやく町が現れる。大きな町だ。町の入口近くのガソリンスタンドで安宿を尋ねると、石河子街に行くといいと言われる。
石河子街に行くと平安旅社で声をかけられる。1泊15元、安いのですぐ泊まることにする。宿のご夫婦がとても面倒見がいい。
明日の食料や夕食に北京ダックを食べたいというと、地元の人が行く店へ連れて行ってくれる。なんと北京ダックが35元。宿泊料といい北京ダックといい破格の安さ。
ものの価格がわからなくなりそう。大きな町で自転車屋もありそうだし、自転車の手入れ、パンク修理、雨で濡れたテントやブルーシートを干したり、宿のご夫婦が親切だし、もう1泊しよう。
写真は天山山脈
7月21日(木)晴一時曇(19:00〜19:30)
五台(ウタイ)〜托托(コワクワ)
走行距離:134.64q

地名の読み方は、発音を聞いてカタカナにしているので正確ではないかもしれない。あしからず。
五台から100qほど走ったところでキャンプか宿に泊まるつもりで8時スタート。
11:30スタートから45q地点でナンを焼いている店があったので、少し時間が早いが昼食。焼きたてでうまい。
70q地点で地図に乗っている精河という町があったので泊まろうかと迷ったが、時間はまだ14時、先に進むことにする。
ところが今度は100qを過ぎても原野が続き、町が現れない。水が少なくなってくる。
原野のなかで何か工事をしている人を発見、水をいただく。水をいただいたので、17時パンとコーヒーで腹ごしらえをして、町があったら泊まろうと走り続ける。
19時今まで晴れていた空が急に黒い雲におおわれ、稲光が光り出す。原野のなかで自分が雷の標的になっているようで恐い。19:30ようやく町が現れた。
ホテルがあったのですぐ泊まることにする。荷物を下ろし、食事に出かけようとするとするともう晴れてくる。
なんという天気だ。夕食をすませ宿に戻って、会話集を見ながら、この町の名前を聞いたり、いろいろ話しをする。
宿の女性4人も、この町に外国人がくるのは珍しいようで、筆談を交えて楽しく過ごすことができた。それにしても今日は走り過ぎ。疲れた疲れた。
7月20日(水)雨のち霧(8:00〜10:30)のち曇(10:30〜16:00)のち晴
サイリム湖手前7qの川原〜五台
走行距離:99.52q

6時目が覚めるとテントを打つ雨の音がしない。止んだと思ってテントを開けるとまだ細かい雨が降っている。
もう一眠りして7時にテントを開けるとまだ細かい雨が降り続いている。8時曜日雨が止んだが深い霧だ。川向のパオでも煙突から煙が上がっている。食事の支度だろうか。
遅い時間と思うかもしれないが、ウルムチ時間で動いているのだろう。雨の止むのを待って9:30の遅いスタート。パオの人が手を振って見送ってくれる。
3qほど上ると舗装が切れてごつごつした石のとても走れる道ではなくなる。。自転車を押して1qほど上ると、締まった砂利道。
2qほど走ると峠の頂上に到着。同時に霧が晴れ、展望がきくようになる。サイリム湖に下ると、湖の向こうにまだ雪の残った山々が見える。
湖畔にはパオが数10軒建ち並んでいる。広々とした湖畔を気持良く走る。湖畔を過ぎると長い長い下り。舗装も良く、交通量も少ない。
最高時速63qが出る。その代わり寒い。レインウエアを着て下る。五台手前10qのところでハンドルをとられる。後輪のタイヤの空気が抜けている。
チューブを交換して走り、16時五台に到着。宿は旅社が3軒あったが2軒で宿泊を断われた。外国人だからのようだ。中国の地方ではまだこんなことが行われている。
泊まれた旅社は宿泊料10元、ベッドがあるだけ、トイレはなく宿の外の空き地。聞いてはいたが 本当だった。
パンク修理をしようと水に入れて調べてみると、パンクではなく、チューブの空気を入れる口金の内側の細いピンのところから空気が漏れている。こんなことは初めて。
修理不能。スペアチューブはあと1本あるが、どこかでチューブを補充しなければ。自転車のトラブルが続く。ウルムチで部品が調達できることを期待して走ろう。
写真はサイリム湖と雪の残った山々。
携帯のカメラではよくわからないか
7月19日(火)晴のち14時頃から曇のち18:15頃から雨
清水河〜サイリム湖7q手前の川原

走行距離:53.11q
6:30に目が覚めてカーテンを開けるとまだ薄暗い。ウルムチ時間だと4:30。北京時間より2時間遅いからだ。
まだ薄暗いのでウルムチ時間で対応することにし、もう一眠り。スタート前には、昨夜ピットツルオカさんに電話し、リアシフターのことについてサポートを受けたので調整を行う。
ディレーラーのロー側のネジを右側にいっぱいに回し、フリーのチェーンの位置を外側から3段目の位置まで持っていく。これ以上動かない。
これであとはフロントのシフトチェンジで走ることにする。今日のルートは川沿いに上流に向かって山間の緩やかな上り。全く下りがなく上りぱなし。
こういうのは厳しい。フロントはインナーに入れぱなし、時速は7〜8q。16:30サイリム湖まで7qの地点から厳しい上り、大型トラックが唸りながら上って行く。
ちょうど川原の向こう側にパオがある。テントサイトにももってこいの場所だ。川の向こう側のパオに行って、テントを張ってもいいかと尋ねると、
気持ち良く了承してくれたうえに、水もこのパオの水道を使っていいと言われる。今日はここでキャンプ。明日厳しい7qを上ることにする。
18:15頃夕食をすませ、川で食器を洗っていると雨が降り出す。クルジア以来の久々の雨。
今テントの中でこのメールを打っているが、冷え込んできて半袖シャツでは寒い。明日雨がやめばいいが。
写真は川の向こう側のパオとわたしのテント

7月18日(月) 晴
ジャルケント〜コルガス〜清水河
走行距離:40.51q

ジャルケントからコルガスは先日自転車で走った道。もう一度走りたい道ではないのでタクシーで。コルガスでは出国審査に大勢の人が並んでいる。
後ろに並んでいると係員が前に来るように案内してくれる。先日のことを覚えていてくれたのだろうか。税関もノーチェック。
中国の入国もこれまで抱いていたイメージとは全く違って極めて友好的。
入国審査では自転車で入国するところを写真に撮りたいと、ヘルメットをかぶってパスポートを手渡しているところを何回かポーズをとる。税関もノーチェック。
これまでに抱いていた中国のイメージとの違いに驚く。こんな状況がずっと続くといいのだが。
12:30清水河という町で、チャーハンを大鍋で薪で作っているのが目につく。客も多いのでこの店で昼食。他の客が隣に座れという。
焼き鳥をすすめてくれたり、お茶を入れてくれたり、おかわりをするようにとか、いろいろ世話をやいてくれる。おかわりしている客も多い。
でも日本のチャーハンの2人前ぐらい。食べ終わって時計をみると13:15。ここで時差があることを思いだした。カザフスタンとは2時間の時差。15:15だ。
先に進むのをやめてこの町に泊まって自転車屋を探すことにする。住宿登記という看板があったので、民宿かと思って行ってみると旅館で、住宿登記という意味は宿泊手続きのこと。
でも40元を35元にして泊まることにする。自転車のリアシフターのアウターがいたんでいて機能しない。これがいたむのは想定外でスペアを持っていない。
自転車屋を探すと2軒あったが部品はない。ウルムチまで行かないと無さそうだ。明日は工夫して走ってみることにする。ウルムチまでは600q。
途中で走るのが厳しくなってきたらバスでウルムチまで行き、部品を調達、交換。そしてバスに乗ったところに戻り、そこからまた走ればいい。明日からはそんな思いで走ることにする。
写真は中国側国境
7月17日(日) 晴
ジャルケント滞在

これまでに5000qほど走ったので、今日は中国行きをやめて自転車整備をする。
リアシフトワイヤーとフロントブレーキワイヤーがささくれだっているので交換、タイヤも交換、ブレーキシューはこれだけ走ったのに大丈夫、まだ使えるので手入れのみ。
信号もないようなところが多かったので、ブレーキをかける場面が少なかったからだ。まずシフトワイヤーを交換しようとするとカバーのビスが動かない。
とりあえずチェーンオイルをぬっておく。次にブレーキワイヤーの交換、これはスムーズにいく。タイヤも新品に交換。これまで使っていたタイヤはスペアとしてとっておく。
これらの作業が終わったところで再度シフトワイヤーのカバーのビスを回してみたが3ヵ所のうち1ヵ所しか動かない。
飽きらめて、ウルムチあたりまで走り、自転車屋を探してみることにする。昼食はホテルでお湯をもらって、キャンプに備えて買っておいたカップ麺とナン。
カップ麺は日本のカップラーメンと同じ。久しぶりに食べたのでうまい。
昼食のあと、一度諦めたシフトワイヤーのカバーのビス回すと動いた。ワイヤーを交換。ところがアウターがいたんでいて機能しない。
とりあえず明日はフロントシフターで走ってみることにする。夕食は中国でのキャンプに備えてガソリンストーブを試しに使ってみることにする。
正常に機能したので、パスタを煮て、トマトの缶詰をかけてみる。やはり久しぶりでうまい。なんだか今日の食事はキャンプしているときみたいだな。
7月16日(土) 晴
アルマトゥ〜ジャルケント バス

土曜日で滞在登録ができるかどうかわからないがオビールへ行ってみると開いている。土、日曜日は半分ダメと思っていたので嬉しい。
登録は入国から5日以内となっているので厳しいかと思っていると、18日に来るように言われる。順番を待っている間に話しをしていた人がここで助け船。
何のやりとりがあったのかわからないが、窓口が一段落するまで待つようにということになった。10ほど待つと申請書が渡される。
ところが多分ロシア語とカザフスタン語。全くわからない。やはり順番待ちのとき話しをしていたもう一人の人が代筆してくれる。
申請書を提出するとすぐスタンプを押してくれる。2人に助けられ滞在登録完了。コルガス行きのバスはガイドブックによると23:30。
このバスでコルガスに行こうと思い、とりあえず席を確保するためバス停に行くと、現在その路線のバスはなく、ジャルケントからタクシーで行くように言われる。
ジャルケント行きのバスは16:30。ホテルに戻りタクシー荷物を積んで出かけようとすると、ホテルのレセプションのところで、
サマルカンドで同じホテルに泊まっていたオーストラリアのサイクリストとバッタリ。再会を喜び、健闘を祈ってタクシーへ。
時間があればもう少し話しができたのに残念。ジャルケントに戻り先日泊まったホテルに宿泊。
7月14日(木) 晴
チャルケン〜ジャルケント
走行距離:69.71q
サルオゼックからジャルケントまでは約200q。2日で走る予定でいたが、無補給地帯が続き、泊まれるところがあればどこでも泊まることにした。
このため3日かかったが、たまたまうまいところにレストランがあり幸運だった。1日70q程度の走行となったが、こういう走りも疲れが残らなくていいなー。
今日はスタートして40qの地点から日陰があり、その後も連日のような日陰を探す心配はなかった。50q地点に町があり、ジュースを購入。
60q地点の日陰で昼食。ジャルケントに着いてガイドブックに載っているホテルがすぐ見つかった。安いので泊まることに。
自転車のフリーの変速機の調子が悪いので、自転車全体の汚れを落とし、細かい部分は歯ブラシで汚れを落とし、注油。
変速機はアジャスターボルトで調整したが一番軽いギアに入らない。自転車店ピットツルオカさんに調整方法をメールで送っていただいたので、明日再度調整してみよう。
バザールがホテルの近くにあったので夕食と明日の朝食を購入。ホテルで記録の整理
が終わったところで停電。今20:30外も暗くなってきた。しょうがないから寝よう。おやすみなさい。カザフスタンではずっと写真のようなところを走ってきた
7月13日(水) 晴
アクタィミエール〜チャルケン
走行距離:72.24q

6:30レストランでマントウとチャイで朝食。おばあちゃんが一人だけ起きて、準備してくれる。まだみんな寝ているようだ。
皆さんによろしくと言って7時スタート。今日も無補給地帯が続く。日陰もない。11:30、50qほど走ったところでようやく橋の下の日陰を見つけ、
少し早いがほかに日陰がなさそうなので昼食。スタートから70q地点に売店があったので水とアイスクリームを買うと、日本人と言ってお金を受けとらない。
嬉しいサービスだ。すぐ近くにレストランがあったのでチャイを注文。ここでもサービス。時間は14:30。ジャルケントまでは70q。
レストランの近くには川が流れ絶好のキャンプサイト。時間は早いがこの先に泊まるところがないといういうので、ここでキャンプ。
川で洗濯と水浴、さっぱりして、夕食はもちろんレストランで。メニューはビール、ナン、ラグメン、チャイ。
7月12日(火) 晴
サルオゼック〜アクタィミエール
走行距離:58.1q

今日は1日中緩やかな上り坂。時速は6〜8q。ガソリンスタンドも商店も何もない全くの無補給地帯。
60qほど走ったところでようやくレストランがあった。16:30ここのレストランの空地にテントを張らせてもらう。
小川が流れ、湧水もあ写真はレストランの人々る。すぐにナン、ショルーウ゛ァ、チャイで夕食。レストランでは大歓迎され、写真を撮ったり、
自転車に乗りたいというので、自転車に乗せたり、大騒ぎ。その後ウオッカをすすめられる。ウオッカはこうやって飲むのだと一気飲み。
強い酒だからきくんだよな。さらに牧場で牛の乳しぼり。みんなよく働く。21時ごろに家族みんなで食事。カザフスタンの伝統料理ベシュバルマックがうまい。
しぼりたての牛乳を入れたチャイが絶品。こんなうまいチャイは今まで飲んだことがない。何杯もおかわりする。
写真はレストランの人々
7月11日(月) 晴
カプシャガイ〜サルオゼック
走行距離:99.77q

景色のいいカプシャガイ貯水池に沿って10qほど上ると、遠くに雪が残る山々が連なっている。
よく晴れているのに、少し霞がかかっている。その後はスタートして50qは商店も民家もない。あきらめて持参の食料で昼食。
ところが食べ終わって3qほど走ると食堂がある、残念。ここから悪路がはじまる。舗装のコールタールが溶けて接着材の上を走っているようだ。
タイヤがべたついてクチャクチャと音をたてている。クルマは雨のなかを走るようにピチャピチャと音をたてて走っている。
スタートして60qあたりから上りが少しきつくなる。写真のように舗装部分はコールタールがくっつくので、路肩の砂利の上を走るが、
砂利がしまっているところはいいが、浮いているところは走れない。この道が20qほど続く。自転車を降りて押したりさんざんなめにあった。
走るのがいやになって、途中にあったレストランと売店で1時間ほどの大休憩。キャンプサイトがあればキャンプをし、
明日コールタールが固まっているうちに走ろうかと考える。休憩を終わり走りはじめて5qほどで普通の舗装になり、しかも下り基調となる。
思い直して今日予定していたサルオゼックまで走ることにする。サルオゼックについて地元の人に聞いたホテルがあったので、
宿泊料の交渉。3000テンゲがいい値だったが2000テンゲで決まり。ところが自転車に戻って荷物をおろそうとすると後輪がパンクしている。
3回目のパンク。ホテルに着いてからでよかった。パンク修理をして空気を入れるとまだ空気が漏れている。2ヵ所バンクしていたのだ。ああ面倒くさい。
7月10日(日) 晴
アルマトゥ〜カプシャガイ
走行距離:83.37q

今日は病み上がり後はじめての走り。暫く走っていなかったので身体は軽く感じるが、力がはいらない感じ。
スタートして30qは商店や民家やバザールがあったが、その後はカプシャガイまでは畑と草原の中の一本道。片側2車線の道路だが、
これまでと違い交通量が多いので慎重に走る。正午少し前食堂が3軒かたまってあったので、少し時間が早いがそのうちの1軒で昼食。ブロフとチャイを注文。
ところが注文していないサラダがでてきた。注文していないというと日本人、サービスだという。嬉しいサービスだ。ここで食事をしてよかった。
その後はカプシャガイまで、中央分離滞を挟んで、反対車線側にはレストランと売店が1軒、ガソリンスタンドが2軒あっただけで、
こちら側には閉店したガソリンスタンドが2軒あっただけだった。15時頃日陰があったので休んでいると、日産車が止まり、いろいろ話しかけてくる。
話しの様子ではどうやら日本車はいいと言っているようだ。別れぎわに1.5Lのジュースを手渡してくれる。16:30カプシャガイに到着。
レストランでホテルはないかと尋ねると、1qほど戻ったところにあるという。ここでミネラルウォーターを買って話しをしているうちに、
レストランの脇の空地にテントを張ってもいいということになり、ここで泊まらせてもらう。当然のことながら夕食はレストランで。
ご心配をおかけしましたが、今日の走りの状況から、心配だった体調も復調したようです。
写真はアルマトゥから見た雪がまだ残っている山々。
携帯のカメラなのでよくわからないかもしれません。
7月9日(土) 晴
アルマトゥ滞在
昨日の訂正をお願いします。原田を金田に8時に朝食をとって、金田さんがヒシュケクへ行くのを見送ったあと、中国までのルートを検討。
バスルートでもあるカブシャカ貯水地を通るコースがよさそうなので、このルートでコルガスから中国に入国することにする。
昨日に引き続きバザールに行く。ここでで昼食。キャンプに備え食材を購入。ホテルに戻って自転車の整備。
昨日はドミトリーに日本人2人だったが、今日は私1人。夕食のとき体調をみるため、ためしにビールを飲んでみる。
これで体調が悪くならなければ、明日からまた走りはじめることにする。
7月8日(金) 晴
〜アルマトゥ

22時タラズからバスでアルマトゥに向かう。アルマトゥ近くから交通渋滞、予定より15分遅れ8:15到着。心配だったトイレは大丈夫だった。
タクシーが客引きをしている。最初のいい値は3000テンゲ、最終的に折り合ったのが1500テンゲ。折り合うまでずいぶん時間がかかった。
9:30ホテルに到着。この時間でもチェックインできた。すぐトイレへ。便もようやく固形化してきた。ホテルでは広島から世界を旅行中の原田さんと同室。
アゼルバイジャン以来の日本語での会話でリラックスする。バスではよく眠れなかったので、ベッドに横になっているといつのまにか寝てしまい、
目が覚めたのが12:30。すぐバスでバザールに行き昼食。ヨーグルトがうまい。広いハザールを歩いてキャンプ時の食材を下見。
アルマトゥをスタートする直前に買うことにする。韓国の惣菜コーナーで巻き寿司を売っていたので夕食にと購入。次にカザフスタン民族楽器博物館へ。
建物自体がロシア風木造建築物で興味を引かれる。中には多くの収蔵品が展示されているが、特に興味を引かれたのは、
ドンブラという指で弾く二弦楽器とコブズという弓で弾く弦楽器。どんな音色がするのだろうか、聞いてみたいものだ。
ホテルに戻って巻き寿司の夕食。久しぶりの寿司に満足。
写真はカザフスタン民族楽器博物館
7月7日(木)
食欲がでてきてだいぶ体調が良くなってきた。午前中に自転車を輪行できるように準備。
食事もいつものように普通に食べたが、トイレは午前中2回、午後1回。昼食後はベッドに横になって静養。
15時バスの発車時刻かは少し早いが、満席なるといけないので、ホテルにタクシーを呼んでもらってバス停へ。
タクシーに乗る前にバス停までの時間と料金を確認すると、ホテルでいうことと全く違う。
ホテルでは40分、1000テンゲ。運転手は10分、500テンゲ。
早く着いて安いにこしたことはないが、あまりにホテルの言っていることが違うのでバスの発車時刻が心配になる。
バス停に着いて発車時刻と運賃を確認すると、ここでもホテルの言っていることがでたらめなことがわかる。
発車時刻は18時、運賃は1000テンゲ。バス会社では発車時刻は20時、運賃は3段階あって2500、2000、1500テンゲ。
自転車は500テンゲ。運賃はまだしも、発車時刻が4時間も違う。まだ15:30。20時までどうやって時間を潰せばいいんだ。
ホテルにもんくを言いに戻ろうか。大荷物があるのでどこへも行けない。
仕方がないので待合室で待っていると、バス会社で気の毒に思ったのかベッドのある部屋に案内され休ませてくれる。
ここでゆっくりさせてもらい、19時バス会社のレストランでラグメンの夕食。日本のうどんに似ていてうまい。
その後も発車時刻までベッドで休ませてもらう。どうやらトイレは大丈夫そうだ。その時はその時と覚悟を決めてバスに乗り込む。
7月6日(水) 晴
タラズ滞在

昨夜はひどい下痢でベッドとトイレを行ったり来たり。ほとんど眠れぬままに一夜を過ごす。日本から持ってきたクレオソートを飲んでも効かない。
単なる下痢であればいいが、心配なのでホテルで病院か薬局がないかと聞いたが、どうもないようだ。
こんな調子では走れないので、もう1泊して様子をみることにする。原因はガソリンスタンドでの湧水か、果物を洗うところがないのでそのまま食べたことか。
炎天下、上り基調の道で体力を消耗し、抵抗力が落ちていたからか。食欲ない。朝食はパンと水。少しよくなったがまだ何度もトイレに行く。
昼食はパンとジュース。午後はトイレは3回。夕方になってようやく食欲がでてきた。近くの大型スーパーで買い物。
夕食はパン、鳥の照り焼き、ゆで卵、蒸かしたじゃが芋、キムチ、コーヒー。これだけ食べたが夜のトイレは2回。
ただ全ての養分が体外に流れ出てしまったような感じで力がはいらない。これからアルマトゥを目指すわけだが、途中にはガイドブックにも載っていない町が続く。
ホテルがあるかどうかもわからない。途中で体調が悪くなった時のことを想定して、安全策をとってアルマトゥまではバスで行くことにする。
ホテルでバスの時間を調べてもらうと18時の夜行。今日はまだトイレが心配なので明日のバスにし、ホテルに滞在し体調を整えることにする。
7月5日(火) 晴
バンノブカ〜タラズ
走行距離:104.87q

朝テントからでると遠くにまだ雪が残った山々が見える。日中は暑さが厳しいが朝夕は涼しく爽やかな感じだ。
今日はスタートして70qは草原のなかの緩やかな上りの一本道。時速は10〜12q。
途中で水を買おうと立ち寄ったガソリンスタンドには湧水がある。飲んでも大丈夫と言われ、この水を汲ませてもらう。
無補給地帯が続き、食堂がない。道路沿いでチェリーに似た果物を売っていたので買ってみる。甘酸っぱくてうまい。
スタートして70qを過ぎるとかなり走りやすくなる。時速は18〜30q。このくらいのスピードだと精神的にも肉体的にもリラックスできる。
チャイハナがあったので寄ってみる。中国人と聞かれる。隣が中国なのでカザフスタンでは中国人と聞かれることが多い。
日本人と答えると、こんにちはと日本語で挨拶される。チャイを飲んで、支払いをしようとするとお金のはいらないのジェスチャー。
嬉しいサービスだ。85qをすぎた辺りで、追い越して行ったトヨタ車が止まって、運転席から日本人、サムライと声をかけられ、1Lのコカコーラの差し入れ。
冷たくてうまい。タラズの手前10qのガソリンスタンドで安いホテルをしらないかというと、ホテルカッピーというのがあるという。
タラズに入ってすぐ目についたのでこのホテルに宿泊。
7月4日(月) 晴
シムケント〜バンノブカ(?) シムケントから70q
走行距離:71.19q

ホテルの朝食が8時から、そのためいつもより遅い9時スタート。カザフスタンに入ってから日をおうごとに上りがきつくなってくる。
スタートして30q民家や店がある。次の30〜50qはいつものように草原で民家や店が全くない。
運悪くちょうどこの間に昼食の時間、持参のパンでしのぐ。
その後明日の宿泊予定地タラスまでの距離を100q程度にしておこうと走っていると、民家が続きなかなか適当なキャンプサイトがみつからない。
そんなとき道路沿いでスイカを売っているおばさんに手招きされる。自分の座っている長椅子の隣にすわらせられる。
キャンプサイトを尋ねるとまだかなり先に行かないとないようだ。暑いのでスイカがうまいと思うが大きすぎてとても食べきれない。
ためしに50テンゲ分切ってくれないかというと、1/4の大きさに切ってくれる。
こんなには食べきれないというと、そのくらいは食べないとというゼスチャー。頑張って食べてお腹がいっぱい。でも本当にうまい。
その後少し走ると川沿いにテントサイトを見つけ、ここでキャンプ。裸になって川で水。
写真はテントサイト
7月3日(日) 晴
カズグッズ〜シムケント
走行距離:80.35q

昨日に引き続き写真のような草原の中の一本道をシムケントに向かう。昨日より上りが多い。
途中飲み物の店が1ヵ所に数軒あっただけで、あとは何もない。道路がバイパスのようになっていて、町中を走ることがない。食料や水の補給ができない。
暑さが厳しく乾燥しているので水の補給には気をつけないといけない。
食堂もないので、途中にあった屋根とベンチのあるバス停で、パン、蜂蜜、干し葡萄、チーズ、コーヒーで昼食。暑さが厳しくこんなものしか持てない。
16時シムケントに到着。ホテルに荷物を置いたあと近くのバザールへ。明日はキャンプを想定して食料を買い込む。
アゼルバイジャンとウズベキスタンでは警官の検問が厳しいのでキャンプをしなかった。
久しぶりのキャンプでガソリンストーブが正常に機能するかだ。そのことも想定して食料の準備をしたので水さえ確保できれば問題はない。
7月2日(土) 晴
タシュケント〜チェルニャエフカ(ウズベク側)〜シベック・ジョル(カザフ側)〜カズグッズ
走行距離:60.55q

タシュケントは警官の検問がひどいので、すっかり観光をする気をなくし、カザフスタンを目指すことにする。ウズベクの国境で残りの2200スムを菓子を買って使いきる。
ウズベク側の出国審査では、滞在登録が1日分ないので少し緊張したが、滞在登録のチェックはなく、何も聞かれなかった。
ガイドブックでは最近滞在登録のチェックが厳しくなっていると書いてあったが、そんなことはなく、多分ホテルが代行するなど、制度自体がけいがい化しているのではないだろうか。
税関では申告書の申告で混乱している。私は事前に調べてあるので、用紙をもらいに行くと、係員が俺の隣に座れと言って代筆してくれる。
簡単な書類だからありがた迷惑だ。書きながら雑談が多く遅い。日本はツナミで大変だろうとか、カメラの欄を見て、カメラはなにを使っているかだとか、とにかく雑談が多い。
ここでかなり時間がかかる。次にx線検査。フル装備の自転車から荷物を全て外してひとつひとつ装置にかける。
荷物のセッティングが大変なんだよな。次にカザフの入国審査でも、税関でウズベク同様のx線検査。いいかげんにしてくれ。
結局出入国検査に1時間30分もかかりうんざりだ。それと時差が−4時間から−3時間になった。カザフに入ってすぐにドルからテンゲに両替。
水をノーガスと言って買う。ところが飲んでみるとガス入。この程度の英語が通じない。草原の中の上り基調の日陰のない単調な一本道を走る。
キャンプをしたいが店も何もないので水を補給できない。そんななか草原の中にぽつんと1軒ホテルがあったので泊まることに。
まわりに何もないので、なんでもいいから夕食を作ってくれないかというと、ホテルの家族と一緒に食べないかと言われ、ご馳走になる。
7月1日(金) 晴
タシュケント滞在

ビザ取り2日目。昨日同様徒歩と地下鉄で中国大使館へ。今日もアリシェール・ナウ゛ォイ駅でまた検問。
中国大使館では昨日一緒だったイングランドのサイクリストと今日も一緒になる。申請書の記入が細かくなって、中国語と英語なのでこのサイクリストに確認してもらう。
2ヵ所指摘される。1ヵ所は過去1年間に訪れた国の記入漏れ。つづりがわからないので、彼につづりを聞きながら記入。
もう1ヵ所は滞在期間が30日となっているがそれでいいのか。私は90日を申請するという。
ガイドブックでは、30日を超える場合はしょうたいじょうやレコメンタレターが必要となっていたので30日としておいた。
申請時に聞いてみると90日でもいいと言われ、90日に訂正して申請。ただし発行の日(7/1)から90日。帰りにオイベック駅でまた検問。
今日はパスポートがないということで別室に連れて行かれ事情聴取。事情聴取と言ってもこちらは英語、相手はウズベキスタン語。
お互いに言っていることがわからない。何度も中国語と英語の預かり証を見せ、中国ビザの申請中で、パスポートは中国大使館に預けてあると英語で繰り返し説明するがわからない。
1時間以上もそんなことの繰り返しでもううんざりする。ついに相手がわかったのかあきらめたのかわからないが、椅子から立ち上がって握手を求めてくる。
握手なんかする気にならない。むしろふざけるなという気持から、とぼけて握手をせずにその場を離れる。昨日も今日もバスポートがないのでどこへもでかけられない。
ホテルで明日の税関申告のため所持金を調べたり、パンクしたチューブのことを思い出して修理をして過ごす。
ビザは17時交付だが、また検問で遅刻をするといけないので、ホテルにタクシーを呼んでもらって出かける。2間でカザフスタンと中国のビザを取得。
これでルート上のビザは全て取得。ある程度余裕を持って走れる。あとは体調と自転車の調子だ。
6月30日(木) 晴
タシュケント滞在

徒歩と地下鉄でカザフスタン大使館へ。いきなりアリシェール・ナウ゛ォイ駅で警官から検問を受け、パスポートの提示とバックを開かせられる。
オイベック駅で警官にカザフスタン大使館への道を聞くと、反対方向を教えられ、駅から徒歩5分のところを15分もかかってしまった。
8:45大使館に着くと既に40人が待っている。私は名簿の41番目。今日申請ができるのか心配になる。ところが外国人は優先して申請受付が行われ、すぐに呼ばれる。
申請が受理されたものの、交付は3営業日目、間に土日があるので7/4だという。明日中国ビザの申請をするので、パスポートを返してほしいというと、今日の17時に交付してくれるという。
いい大使館員に出会って幸運だった。次に明日申請をする中国大使館の場所を調べておこうと行ってみると、申請書が変わったという。
日本でインターネットで打ち出し、用意しておいた申請書A4の表裏1枚がA4の表裏3枚に。複雑になり面倒だ。
ホテルに戻って中国ビザ申請書の作成。17時にカザフスタンのビザの交付を受けに行こうとするとオイベック駅でまた検問。
パスポートをカザフスタン大使館に預けてあることの説明が大変。やっと納得してもらった。大使館でのビザの交付も外国人優先ですぐ交付される。
帰りにナウ゛ォイ駅のホームに行くと、サマルカンドのホテルで同宿だった女性とばったり出会う。明日ロンドンに行くという。
アリシェール・ナウ゛ォイ駅でまた検問。この町はどこへ行っても警官だらけ。検問がこう多いとうんざりだ。
6月29日(水) 晴
グリストン〜タシュケント
走行距離:118.3q

風もなく、道路状況も比較的良く、安心して走っていると、正午近くに突然ハンドルをとられふらつく。前輪がパンク。
今回のツーリングで2回目。パンクをなおすのは、チューブを代えればいいだけで簡単だが、フル装備の荷物を取り外したり、取り付けるのが面倒くさい。
チューブを交換していると、農作業をしていた人たちが、近くに寄って来て話かけてくる。
暑いところで面倒なことをやっているとき、興味本意で、わからない現地語で話かけられるといらいらする。
チューブを取りかえ、あとの作業を後回しにして、食事をはじめるとやっととうざかる。人がいなくなったところで、落ち着いて前輪と荷物のセッティングとブレーキの調整。
16時タシュケントに到着。ウズベキスタンをほぼ走り終わった。ガイドブックに載っているホテルハドラに行くと電気が消えていてとても暗い。
受付で尋ねるとシャワー、トイレ共同で22000スム。安いけれども、どうも泊めてやるというような雰囲気だ。
部屋を見せてもらうと、共同のトイレがあまりに不潔で泊まるのをちゅうちょする。受付に戻るとパスポートと全ての滞在登録を見せろという。
1日分滞在登録がないと、問題ありで泊められないと、宿泊を拒否される。古いソ連の体質のホテル、首都でいまだにこんなホテルがあるとは驚きだ。
暑さと疲れで、安いホテルを探すのが面倒なので、ガイドブックに載っているカードが使える近くのホテルに行ってみる。ここでもパスポートと滞在登録を見せろという。
タシュケントのホテルはどこもそうなのだろうか。1日滞在登録がないというと、問題ないという。ホテルの話では自転車の場合、定かではないが3日程度は大丈夫そうだ。
この3日間350q以上走った。自分でもこの暑いなか良く走ったと思う。明日からはカザフスタンと中国ビザの取得だ。
6月28日(火) 晴
ジッザフ〜グリストン
走行距離:127・68q

できるだけタシュケントの近くまで走ろうと7:30スタート。10:30通りかかった町でバザールがある。
暑いのでジュースを買って飲んでいると人だかりができる。正午近くに通りかかった町にもバザールがある。
ちょうど昼どき、ここで昼食。いずれの町もガイドブックには載っていない町。フル装備の自転車にヘルメットをかぶった日本人。
目立つのはわかる。すぐ日本人日本人と人だかりができる。いろいろ現地の言葉で話かけられ、暑いのと疲れているのにゆっくり休めないのがつらい。
午前中に70q近く走ったので、スタートから100qほどのヤンディエールまで走ろうと思ったが、さらに25qほど先のグリストンまで走ることにする。
17:30グリストンに到着。例によって地元の人に安いホテルはないかと尋ねると、この人は英語で答えて、自転車をクルマに積んでホテルまで連れて行ってくれる。
ところがこのホテルは60000スム、円で4000円。私にとってはとても高い。でもクルマに自転車を積んで連れてきてもらって断わるわけにもいかない。
交渉の結果50000スムで泊まることに。ホテルとの交渉に気をとられ、お世話になった人の名前も聞かず、
写真を撮らせてもらうのもついうっかりしてしまった。以後このようなことがないようおおいに反省。
6月27日(月) 晴
サマルカンド〜ジッザフ
走行距離:110.36q

ホテルから穴ぼこだらけ、つぎはぎだらけの悪路を6qほど走って、ようやく幹線道路へ。
ここからはウズベキスタンに入ってはじめて、比較的舗装も良く、景色を見ながら安心して走れる。
ただ畑ばかりの単調な景色。道路の状況が良いのに、残念ながら緩やかな上りが続き、しかも向風、時速は10〜13q、我慢の走りだ。
10:30頃休憩していると、農作業をしていた人がリンゴを二つ持ってきてくれる。
なんと言っているのか言葉はわからないがうれしい差入だ。午後からは進路が少し北に向かったため、向風ではなくなりスピードアップ。
ジッザフの標識が出ているところからは、写真のような岩山に囲まれた道路。とにかく暑い。
脱水症状を起こさないように、水分の補給に注意しながら、休みを多くとりながら走る。ジッザフの町に近付くと蜂蜜と飲み物の販売が並んでいる。
ジャムはもたないが、この暑さの中で売っているのだから大丈夫だろう。ナンにつけてたべてみようと蜂蜜を購入。
16:30ジッザフに到着。地元の人に安いホテルはないかと尋ねると、クルマのあとについてこいと言って、ホテルまで案内してくれる。
なんとホテルはシャワー、トイレ、テレビ付きで15000スム。安くて助かる。ホテルの近くにバザールがあったので、ここで夕食。明日の食料もついでに購入しておく。
6月26日(日) 晴
サマルカンド滞在
午前中は観光。先ずグリ・アミール廟へ。サマルカンドでももひときわその青さが引き立っている。規模も壮大だ。
次にルハバッド廟へ。茶色いレンガが剥き出しになっている。青の都と呼ばれるサマルカンドでは珍しいが、それなりに味わいがある。
レギスタン広場で新婚さんに出会う。花嫁さんがとても美しいので、写真を撮らせてくれというと、気持良くポーズとって撮らせてくれる。
午後は明日からの走りに備え、自転車の手入れ、洗濯、荷物の整理、買物。先ずバザールでナンと干しぶどうを購入。スーパーでコーヒーを購入。
肌を射すような陽射しと暑さのため、バターはお湯になってしまうし、チョコレートは液状化、果物はすぐいたんでしまうし、
ジャムも腐ってしまうだろうから、何も持てない。それで非常食様にナンなどを買ってきたのだ。
ホテルに戻ると自転車が3台置いてある。3台とも変速機とブレーキはシマノ、サドルはブルックス。
そして羨ましいことに1台に取り付けられたハンドル、前後輪のバック類は全てオルトリーブ。
こんなのが欲しいと思っていたが、高価だから我慢していたやつだ。
久々にサイクリストと同宿。ポーランドの男性、ニュージーランドのカップル。いずれもタシュケントまで走るという。
ルートは同じでも、ポーランドの男性はまだ走り出す日が決まっていない。ニュージーランドのカップルはこれから観光。私は明日スタート。
残念ながら日程が合わず一緒に走ることができない。
写真はグリ・アミール廟
6月25日(土) 晴時々曇
サマルカンド滞在
午前中サマルカンドから26qのところにあるウルグットのバザールへ。レギスタン広場の近くからマルシュルートカで。
ウルグットへ近付くとクルマが大渋滞、バザールも物凄い人出だ。
色とりどりの衣類、金物、調味料、野菜、果物、ナンなどの食料品、そしてスザニ。雑ぜんとして、まさにシルクロードを思わせる雰囲気だ。
お目当てのスザニの売り場に近付くと、スザニを開いて数人が近寄ってくる。売り込みが凄い。テーブルクロスとクッションカバーを購入。
帰りはどこでマルシュルートカにのったらよいか場所がわからない。
警官がいたので尋ねると、ここで待っていろといい、通りかかったクルマを止め、レギスタン広場まで乗せてくれるように頼んでくれる。
一般のクルマ、いくら払えば良いかわからない。マルシュルートカが2500スムだったので2000スムを手渡すと、握手をしてきたので、多分それでよかったのだろう。
午後は先ずシャービズィンダ廟群へ。今も巡礼に訪れる人が絶えない場所。タイルの装飾の美しさに圧倒される。
次にシャブ・バザールへ。ウルグット・バザールに比べ整然とした感じだ。ナンを買ってみる。もちもちとした食感でそれだけで食べられる。
次にビビハニム・モスクへ。巨大なモスクで、規模の大きさに迫力を感じる。次に昨夜ライトアップされたメドレセへ。
ウルベク・メドレセはレギスタン広場にたてられた最も古い建造物。
シェルドル・メドレセは入口にイスラムのタブーを破って、ライオンが人面を帯た日輪を背に描かれている。
ティラカリ・メドレセは修繕に3kgの金が使われたという礼拝所の美しさに息を飲む。
観光から戻ると、日本人女性、中国人男性、イタリア人男性が中庭で休んでいてよびとめられる。暫く自転車の話しをする。
年齢を聞かれ感心される。たいしたことではなく、誰でもこんなツーリングはできると話す私は1日100q程度走るけれども、それが大変と思えば50qにすればいい。
無理のない走り方をすれば誰にでもできることという。
写真はシェルドル・メドレセ
6月24日(金) 晴
カッタクルガン〜サマルカンド
走行距離:89/64q

今日も舗装道路とはいえ悪路。このままタシュケントまでこんな道が続くかと思うと、暑さも厳しいしうんざりだ。
道路沿いには小さなリンゴとブラム売りが並んでいる。プラムを500スム分買ってみる。結構な量だ。昼頃になっても食堂もマーケットもない。
日陰を見つけ、ナン、蜂蜜、プラム、コーヒーで昼食。サマルカンドに1533時に到着。
レギスタン広場の近くでホテルを探してウロウロしているとホテルの人から声をかけられる。
1泊朝食付きで10ドル。部屋を見せてもらって即決。サマルカンドの観光は何日みておけばいいかと聞くと3日という。
3日予約するので10%オフというとok。この町の地図がないかと尋ねているところに日本人が、鹿児島で高校の校長で5年前に定年退職、
現在はウズベキスタンの日本語講師と鹿児島の志布志で民宿を営んでいるという。彼から夕食を誘われ、
近くのレストランでビールとワインを飲みながら夕食。このホテルに5日ほど泊まっているということで、この町のことをいろいろと話してくれる。
久しぶりに日本語が話せてリラックスできた。支払いはワリカンでというと、明日帰国するので、今持っているスムを使い切ると言って、全て支払ってくれる。
このあと21時にレギスタン広場の隣のメドレセがライトアップされる。昼間と違い青いタイルが幻想的で雰囲気があって素晴らしい。
6月23日(木) 晴
ナボイ〜カッタクルガン
走行距離:86.03q

今日も昨日に引き続きひどい状況の道路をカッタクルガンを目指す。
心配したブレーキは正常に機能している。この状態がずっと続いてくれればいいが。途中正午近くに通りかかった町のバザールへ立ち寄ってみる。
道路沿いでスイカを売っているのをよくみかけ、一度食べてみたいと思っていたが、大きくて一つは食べきれないので買うのをやめていた。
このバザールで500スム分を切ってくれというと、切ってくれる。甘くてうまい。ただこの町に日本人が来るのは珍しいのだろう。
日本人日本人と言って人だかりができてしまう。15時カッタクルガンに到着。銀行でドルをスムに両替。
地元の人にホテルを聞いて行ってみると、今はもうホテルはやっていない。自転車店、ミニマーケットスポーツジムになっている。
この町には他にホテルはない。ホテルはサマルカンドまで行かないとないという。自転車の組み立て場所の奥にはベットがある。
そこでよければ5000スムでどうかと言われ、泊まることに。サマルカンドは70〜80q先だろうからやむおえない。
6月22日(水) 晴
ブハラ〜ナボイ85.07q道路は部分補修はしてあるものの、穴があったり、凸凹だらけで相当ひどい状態のところが多い。
そのうえに向風。時速は12〜15q。信号もない畑の中の平坦な一本道。交通量が極端に少ないのが救いだ。
スタートして1時間ほど走ったところでペダルが重く感じる。
ブレーキでも当たっているのかと止まってみると、フォークとブレーキに取り付けた右側のキャリーのビスが抜け落ちている。
ブレーキの部品も一部なくなっている。とりあえずキャリーは針金で応急処理。ブレーキはリアブレーキだけで走る。
交通量の少ない、平坦な道なので走るには支障がない。町中と急な下り坂は慎重に走ることにする。
ナボイまで50q地点にさしかると、道路沿いに水を売っているが多くなる。このあたりから道路の両側は砂漠のような感じだ。
ナボイまで35q地点で追い越して行ったトラックが止まり、人が降りている。通り過ぎようとすると止まれの合図。
そしてミネラルウォーターを手渡してくれる。どこまで行くのと聞かれたので、ナボイまで行ってホテルに泊まろうと思っているというと、
自分たちもナボイに帰るところだ、よかったら暑いから乗って行かないと言われ、喜んで乗せてもらう。
活字にすると言葉がよく通じていると思われるかもしれないが、ボデイランゲイジでのやりとりが多い。
例えば自転車を荷台に乗せるしぐさだとか、人が荷台に乗るかっこうとかだ。男性3人が座席、子供と私が荷台。
荷台といっても、運転席の後ろと荷台の後ろに小さい窓があるだけで、まわりが囲まれ外は見えない。
どんな状況のところを走ったのかわからない。ナボイの町の入口まで乗せてくれる。暑いので助かった。
お礼を渡そうとすると受け取らず、あっという間に走り去ってしまった。名前も聞けず、写真も撮ることができなかった。
ナボイに着いて地元の人に聞いたホテルに行くと、満室といって断られたが、そのホテルの紹介のホテルに宿泊。
ホテルでブレーキの修理。フォークからブレーキを全て取り外し、はじめから取り付け直すと復活。
明日実際に走ってみてどうかだ。
6月20日(月)〜21(火)両日とも晴
バクー空港〜タシュケント空港〜タシュケント駅ブハラ駅〜ラビハウズ

昨日大司さんがホテルに私を訪ねて来た。一度目は私がいなかったようで、部屋のノブに置き手紙とビールが置いてある。
すぐ彼の泊まっているホテルに電話したが、彼からなかなか電話が来ない。21:30ドアをノックする音が。
大司さんが電話があったことを聞いて訪ねて来たのだ。トルクメニスタンにいまだにスタートできないでいるという。
旅行会社との意思の疎通が上手くいかないと悩んでいる。
もしトルクメニスタンがダメな場合はタシュケントかウルムチまで飛んで、そこから走りだそうと思っているという。
22時頃まで話したが、私が彼のてだすけをすることがない。20数万円も支払ったのだから諦めず、粘り強く旅行会社と話しを続けるようにと言って励ましておく。
トルクメニスタンのビザ関係は皆大変のようだ。今日はタクシーでバクーのヒナ空港へ。
荷物が予想どおり重量オーバー。サービスしてくれと言ってみたが全然ダメ。カードで支払おうとするとマナトかドルの現金だという。
57ドルを現金で支払う。首都の国際空港でカードが使えない。この国はまだカードのシステムが機能していないようだ。
残りの6マナトは空港で紅茶と菓子を買って使い切る。アゼルバイジャンの出国と税関は質問なし。ウズベキスタンの入国は質問なし。
税関では申告書を見て、日本円をドルに換算するといくらかと聞かれ、1ドル80〜90円と適当に答えて終わり。
タシュケントからブハラへの飛行機は明日の7:30。早い時間で厳しいので、タシュケント駅から夜行の寝台列車で行くことにする。
タシュケント駅での乗車券の購入にはカードが使えた。列車に乗り込む時は、荷物が多いのを見て他の乗客が手伝ってくれる。座席は4人。
トルクメニスタンのおばさん、デカイ声で携帯電話で話しをする。ウズベキスタンの男性、カザフスタンの男性と私。3人は言葉が通じるが、私だけ通じない。
カザフスタンの男性が少し英語を話し、私に会話の内容を話してくれる。ブハラ駅での下車の時も皆が荷物を持ってくれる。
ブハラ駅からタクシーでラビハウズへ。時間は8:30旅行会社でホテルを紹介してもらおうと思ったが、まだ開いていない。
ちょうどホテルの人が通りかかり、ホテルは決まっているのかと聞かれたので、決まっていない。10〜15ドルの安いホテルを探そうと思っていると答える。
25ドルで朝食付きでどおかと言われ、15ドルで泊めてと話しているところへ、今度はホテルの人の妹が通りかかる。
彼女は日本語が話せ、日本びいきのようで15ドルで泊めるように話してくれる。清潔で気持ちの良いホテルに泊まることができて運がいい。
このホテルで部屋の準備ができるまで朝食。午前中は自転車の組み立て。飛行機、列車、タクシーと乗り継いで来たので心配だったが大丈夫。
一ヶ所だけ気になる。フロントのキャリーのネジが右に何回回してもきりがなく回ってしまう。バカになってしまったようだ。
後で外れても部品がなくならないようにガムテープでとめておこう。午後は旧市街地を歩いて観光。
歩いて観光できる範囲にモスクやマドラサなどの見所が数多くある。
特に素晴らしかったのは、カラーンモスクの中庭から見た高さ46mのブハラのシンボル的存在のカラーン・ミナレットと巨大なアーチの両脇に二つの青いドームのミル・アラブ・メドレセ。
青と白のモザイクタイルの植物文様と文字文様の組み合わせが美しい。もう一つは、ナディール・ディバンベギ・メドレセ。
正面入口の色タイルの鮮やかな絵に目を奪われる。鳳凰と人間の顔をした太陽のモザイク。
写真はカラーン・モスクから見た
カラーン・モスクとミル・アラブ・メドレセ
写真はナディール・ディバンベギ・メドレセ
6月19日(日)晴
バクー滞在

アゼルバイジャンに入国してから暑い日が続いている。雨も入国時に少し降っただけで、晴の日が続いている。
明日のウズベキスタン入国に備えて、着ているものを全て洗濯。乾燥しているので乾きが早い。
自転車で走っていないと、こんなつまらないことばかりのメールになってしまう。
今回のツーリングで入国時にはじめて税関申告をするため、所持金の額を調べておく。所持金は円、usドルのトラベラーズチェックと現金。
アゼルバイジャンマナトは、明日ホテルから空港までのタクシー代を支払ったあと、空港で使い切ろうと思う。
日陰は涼しいが陽射しが強いので出かけるのやめ、ガイドブックを読んだりして過ごし、15時過ぎにはシャワーを浴びて、お茶がわりにビールを飲みはじめる。
乾燥しているのでビールがうまい。
6月18日(土)晴
バクー滞在午前中バザールへ。乾燥果物が多い。
いろいろ買いたい果物があるが、明後日からの輪行(自転車を飛行機や列車等に持ち込んで運ぶこと) のことを考え、
荷物を増やさないため我慢。結局野菜不足を補うため、今日、明日食べる生野菜だけを買う。午後は輪行に備え、自転車の手入れ。
今回はすでに3600qほど走ったので前後のタイヤローテーションを行う。後輪の方が減り方が早いので、少しでも長持ちさせるためだ。
次に輪行の準備。荷物が多いので頭が痛い。自転車、フロントバッグ、前後輪の4つのバッグ、キャリーの上のテントと寝袋やエアーマット等の入ったバッグ。
こんなに多い荷物が運べるかだ。とりあえず自転車を輪行できるようにキャリーやタイヤペダル等をはずし、輪行袋に前輪に着けたバッグと寝袋を入れてみる。
この輪行袋、フロントバッグ、キャリーの上のバッグを肩から担ぎ、後輪のバッグ2つを片手で持つ。すごい重さだが他に方法がないのでしょうがない。助けて欲しい。
空港や駅まではタクシーを使って運ぼう。あとは重量オーバーへの対応だ。成田空港のようにまけてくれればいいが。
6月17日(金)晴
バクー滞在郵便局が混まないうちにと、朝9時一番で使わなくなったガイドブックや資料等を、少しでも荷物を軽くしようと自宅に返送。
ホテルに戻って大司さんとこれからの予定等を話し、ウズベキスタン、カザフスタン、中国のどこかで再会できればいいねと言って、チェックアウトするのを見送る。
午後は帝政ロシア以前から存在したという旧市街イチェリ・シャハルへ。城壁に囲まれ、その内側の石畳の通りに、干し煉瓦造りの建物や街並みが保存されている。
バクーのシンボルで高さ30mの乙女の塔は残念ながら修復中で足場が組まれている。
城壁内の最古のムハマド・モスクに付設されたスヌフ・ガラのミナレットでは、今日がちょうど金曜日、金曜モスクが行われている。
今日は気温が高く、イチェリ・シャハルを歩いただけで汗だく。ホテルへ戻って、シャワーを浴びて、横になっているうちに、いつのまにか寝てしまった。観光は疲れる。
写真はイチェリ・シャハル入口のシャマフ門
6月16日(木) 晴
バクー滞在

朝9時一番でこの町の地図をもらいに観光情報センターへ。次に観光会社へ行き、バクーからタシュケント行きの航空券を予約。
午後支払と受領に行くことにする。次に日本大使館でカザフスタンのビザ情報を聞いて、カザフスタンのビザ申請に行こうとしたが、
カザフスタンのビザ関係が、ガイドブックでは月〜金の9:00〜12:00申請、翌日の17:00受取りとなっていたが、現在は火〜金の9:30〜11:30申請、4営業日以降の受取りとなっている。
これでは受取りまでに1週間かかってしまうのでウズベキスタンでとることにする。午後は現在泊まっているホテルシャヌープがダブルで30マナト。
2人で泊まっているので1人15マナト。明日からは一緒に走っていた大司さんがトルクメニスタンに行くので別行動になる。
ホテルも2人でシェアして安く済んだが、これからはまたひとり旅。ホテルもシングルに変わって20マナト。1人だと割高になる。
ガイドブックに載っているホテルアラズが安いので行ってみると、改築され高くなっている。あきらめてこのホテルに泊まることにする。
次に銀行へ行き、昨日引き出せなかったマナトを引き出してもらう。行員が引き出してくれる。これで安心。次にトラベラーズチェックをドルに替える。
次に午前中に予約しておいた航空券を受取りに旅行会社へ。銀行も旅行会社も仕事が遅く、予定していた郵便局へは時間の関係で行けなくなってしまった。
使わなくなったガイドブックや資料を自宅に返送し、少しでも荷物を軽くしようと思ったのに。明日にしよう。
6月15日(水)晴
キュルデミル〜アラト〜バクー
走行距離:126.8q

大司さんが木曜日にカザフスタンのビザを申請し、金曜日に取得するため、できるだけバクーに近い町まで走っておきたいということで7:30の早いスタート。
私はカスピ海沿いの町アラトに泊まるつもり。このため今日はお互いマイペースで走ることにする。道路は今日も原野のなかの単調な日陰の全くない一本道。
日陰がなく昼食をどこでたべようかと、食べる場所を探しながら走っていると、12:30カフェの日陰で先に行った大司さんとバッタリ、ここで昼食。
14時頃から向かい風が強くなる。しかも緩やかだが上り坂。すでに90qほど走っているので厳しい。
そんな中トラックが追い越しざまに、助手席からミネラルウォーターのペットボトルを私に向かって投げてよこす。日陰のない道で嬉しい差し入れ。
17時アラトの町の入口に着くと、もっと先に行っていると思っていた大司さんが待っている。
タクシーの運転手の話だと、この町にはホテルはなく、50q先の町までないという。時間も17時、走行距離もすでに120qを越えている。
タクシーで行くことにする。ところがそのホテルに着いて宿泊料を聞くと340マナト。こんな高いホテルには泊まれない。
もう面倒なのでバクーまでタクシーで行って安いホテルに泊まることにする。70qほど走ってタクシー代50マナト。
バクーに泊まり、近くのatmでマナトを引き出そうとしたが引き出せない。19時を過ぎているので、明日銀行で聞いてみることにする。
両替所はこの時間なのに開いていたのでドルをマナトに両替してホテル代を支払う。今日のツーリングはひどいことになった。
6月14日(火) 晴
イェブラフ〜キュルデミル
走行距離:98.14q

原野の中の平坦な一本道をキュルデミル目指して走る。景色が変わらず、単調な道で飽きる。フロントのギアは今日一日を通してアウター。
自転車のことにあまり詳しくない方のために少し解説しておきたいと思います。私の今回のツーリングで使用している自転車の変速機はフロントが3段、リヤが9段。
フロントの変速機のアウターは自動車でいえば、トップギア、センターがセカンド、インナーがローと思っていただければよろしいのかなと思います。
いつもお世話になっている自転車屋さんのピット ツルオカさん、こんな解説でよろしいでしょうか?ウザールという町の手前でクルマが異常接近。
危ない運転だなあと思いつつ、さらに右端に寄ると、助手席の男が○☆▲□×と言って、スモモを手渡してくれる。このために自転車に近づいてきたのだ。
何と言っているのか、アルベバイジャン語でわからなかったが嬉しい差し入れ。ウザールの町には入らず、先を目指していると道路沿いに果物売りが並んでいる。
そのうちの一人が自転車を止めようとする。果物を売りつけようとするのかと思うと、赤と黄色のサクランボを食べていけという。これまた嬉しいサービスだ。甘くてとてもうまい。
キュルデミルの町の中心部に入ると、すぐモーテルが見つかった。シングル30マナト、ダブル50マナト。当然ダブル。しかも10%オフで交渉成立。泊まることに。
この町も昨日に引き続きガイドブックに載っていない町なので、道を歩いていても、食堂へ入っても、スーパーに入っても、どこに行っても、日本人が珍しいのだろう、
ジロジロ見られたり、声をかけられる。まるでスターだねと大司さんと話す。
6月13日(月) 晴のち曇(11:00〜)
ゲンジェ〜イェブラフ
走行距離:79.83q

今日の予定は70q先のイェブラフまで。
イェブラフを過ぎると、さらに100qほど先のキュルデミルまでホテルのある町が無さそうなので、距離が少し短いがこの町に泊まることにしたもの。
道路状況はほぼ平坦。ゲンジェの市街地から25qほど走ったところで道路工事。凸凹のすごい悪路。自転車で走ることができない。
押して歩いていると、レストランでチャイを飲んでいる客から声がかかり、チャイをいただきながら休憩。
食事をしてゆけと言われたが、さすがに悪いと思い遠慮する。原野の中の平坦な一本道を走って14:30イェブラフに到着。
タクシーの運転手に教えてもらったモーテルへ行くと、日本人がこの町に来るようなことはないのだろう。しかも自転車だ。珍しいのだろう。
モーテルの従業員全員が出てくる。英語は全く通じない。ロシア語の会話集をみながら話すが、発音が悪いのだろう、通じないことがしばしば。
宿泊料など大事なことは会話集を見せてしっかりと確認しておく。モーテルでで宿泊料や食事代を払うと残り20マナト。
ドルは持っているがマナトがない。ビールを飲みたいが我慢。カイドブックにも載っていない町のモーテルなので両替は無理と思ったが、試しに聞いてみると両替してくれるという。
100ドル両替してもらい、アルベバイジャンソムが手に入ったので、ビールとつまみを注文。いい夕食となった。
6月12日(日) 晴のち曇(10:30〜)
カザフ〜ゲンジェ
走行距離:116.65q

朝5時泊めてくれた男が起こしにくる。そして10ドルくれという。
昨夜は金のことは一言も言ってなかったのに。飲んだり、食べたり、泊まって一人5ドルでは安いものなので支払う。金のことより気分が悪い。
早く起こされたので6:15さっさとスタート。昨日に引き続き交通量は少なく、舗装も良い、緩やかなアップダウンはあるものの走りやすい。
ただ犬が多く、吠えられるけではなく、追い掛けられる。一緒に走っている大司さんはバックに噛みつかれる。
バックで良かった。足でも咬まれれたら大変だ。犬には要注意だが、どうやっても避けられない。これから先が思いやられる。
15:30ゲンジェに到着。ガイドブックに載っているホテルに行くと室料が倍になっている。60マナト。一人30マナト、円で2500円程度。
私には少し高いが、大司さんも他のホテルを探すのも面倒というので泊まることにする。
ホテルに荷物をおろしたあと、近くのバザールへ。食料品が安いので、今日の夕食と明日の朝食、昼に食べるところがなかった場合に備えパンを買う。
全部で10マナト、円で800〜900もしない。鷄の丸焼きが絶品。
6月11日(土) 晴のち曇(16:00〜)一時雨(19:00〜20:00)
トビリシ〜カザフ
走行距離:91.62q

5泊6日の民宿タムナでラリに見送られ、8:15カザフ目指してスタート。5日も自転車に乗らなかったので休養十分。身体が軽く感じる。
ところがなんということだ。スタートして10qほどのところで、今回のツーリングで初めてのパンク。チューブを取り替え、パンク修理は宿ですることにする。
グルジアとアゼルバイジャンの国境まで15分のところで、チャイを飲んでゆけと誘われる。
トルコのトラック運転手でラジフさん。トルコのイスタンブールとアゼルバイジャンのバクーの間を荷物の運搬をしているという。
チャイだけではなくナンのようなパンとチーズをすすめられ昼食。パンが美味い。国境では2ラリで菓子を買って、残っていたラリを使いきる。
国境でのグルジアの出国検査は、荷物をチラッとみたあと、パスポートのスタンプを何度も繰り返し見たあと、スタンプを押して終わり。
次にアゼルバイジャンの入国検査へ。自動車が数十台並んでいる横を通りすぐ入国検査へ。
アゼルバイジャンの役人の評判は悪いので緊張したが、とても友好的で、日本人と言って握手を求められる。荷物の検査は全くされなかった。
アゼルバイジャンに入ると、トルコやグルジアとくらべ、極端に交通量が少なくなる。クルマのスピードも緩やか。道路には馬車が走っていたり、馬が歩いていたり、羊の群れが歩いている。
草原と畑の中の舗装の良い一本道をカザフ目指して走っていると、18時ごろカザフ市街地まで5qのレストランで呼びとめられ、
常連らしい客からビールとウォッカを飲みながら、パン、サラダ、ヨーグルトをすすめられ、ホテルが決まってなければ隣の俺の部屋に泊まれと言われ、酒も飲んでしまったので、泊まることにする。
6月10日(金) 晴
トビリシ滞在
今日は16時にアゼルバイジャン大使館でビザの交付がある。申請時にノープロブレンと言われたものの、なんとなく落ち着かない。
10時ころヨーグルトをおばあちゃんが売りに来る。長屋の人たちがボトルを返しながら買っている。定期的に売りに来ているようだ。
500ミリリットルぐらいのボトルで1ラリ。私も買ってみる。ボトル代を含めて1.5ラリ。
昼食は宿の近くで、石窯でナンのようなパンを焼いて売っている店があるので買ってみる。焼きたてでうまい。ヨーグルトもプレーンなのでジャムを入れて食べるとこれもうまい。
昼食後は今一緒に走っている大司さんと、これから走るアゼルバイジャンのルートを、宿のインターネットを使ってグーグルマップで検討。
15:30タクシーでアゼルバイジャン大使館へビザの受領に出かける。
16時交付と言われていたので10分前に着いたが、交付されたのは16:30。30分遅れだ。旧ソ連の国ぐにの事務能率の悪さは聞いていたとおりだ。
帰りはバスでトリビシ駅へ、駅から宿までは歩いて15分だった。今日も自炊。グルジア最後の夜ということで米を炊いた。やっぱり日本人。米のご飯はうまい。
明日はグルジアからアゼルバイジャンに向かう。天気が良ければいいなー。
6月9日(木) 晴
トビリシ滞在

午前中トビリシ駅近くのバザールへ。食料品や日用品は何でも揃っていて、しかも安い。安いのでいろいろと買いたい食料品があるが、荷物が重くなるので我慢。
宿での自炊用にパン、肉、野菜だけ購入。午後は大司さんの持っている中央アジアの地図を、コピー屋へいってコピー。
その店にはカラーコピーがなかったので、白黒a3版でコピー。1枚0.2ラリ。円で12円程度だが、初めて日本より高いものに出会った。
民宿というよりも長屋と言った方があたっている宿の中庭で、洗濯物を干していると、長屋のおばあちゃんがそんな干し方はダメ、こうやって干すのと世話をやいてくれる。
夕食は荷物を少しでも少なくするためと時間がたっぷりあるので今日も自炊。
写真は民宿タムナ。
6月8日(水) 晴
トビリシ滞在

昨日に引き続きアゼルバイジャン大使館へビザ申請。ガイドブックには午前中申請、当日16時受取、40$とあったが、2日後16時受取、無料。
午後からはガイドブックに載っている直営店のあるワイン工場へ行ったが、ガイドブックの地図の場所は塀で囲われ半分取り壊された建物がある。
これがワイン工場であったのか、地図が違っているのかはわからない。楽しみにしていたのに残念。宿に戻って自転車の手入れと洗濯。
アゼルバイジャンでは今一緒に走っている大司さんが、テントではなくホテルに泊まりたいというので、荷物を少しでも減らして軽くしようと自炊することにする。
先ず食料を減らそうと夕食は今持っているパスタ、スープ、チーズ、コーヒー、それに今日スーパーで買ってきた卵、トマト、きゅうり、惣菜(名前がわからない)、ワイン。
6月7日(火) 晴
トビリシ滞在

タクシーでアゼルバイジャン大使館へビザ申請に。9:30大使館に着くと、すでに4、5人待っている。門のところにはビザの申請受付日と時間が表示されている。
月、水、金曜日の10:00〜12:00。守衛に聞くと明日来るようにと言われる。せっかくタクシーで30分も前に行ったのに無駄足になってしまった。
ガイドブックにはビザに関しては流動的なので注意とあったが、残念。
宿に戻って使い終わったガイドブックや長いサイクルパンツを自宅送ろうと郵便局へ行くと73ラリと言われ、高いので送るのをやめた。
ガイドブックは宿に置いておけば、誰かの役に立つかも知れないし。午後はタクシーでトビリシ市内の観光。メテヒ教会、スィオニ大聖堂、アンチスハティ教会を回ってみる。
メテヒ教会は遠くからみると砦のよう。そして教会からはムトゥクウ゛ァリ川を見下ろすウメリオニ素晴らしい教会。
写真はメテヒ教会
6月6日(月) 晴
ハシュリ〜トビリシ
走行距離:138.16q

お世話になったガソリンスタンドの人と写真撮影のあと、8時スタート。緩やかなアップダウンはあるもののほぼ平坦な道路が続く。
11時ゴリの町に到着。スタート前はトビリシまでは少し距離が長いので、場合によってはこの町で泊まろうかと話していたが、
着いた時間が早いのと、なんとなく活気がなく、暗い感じがする町なので、スターリン像とスターリン博物館をみて、昼食後先に進むことにする。
18:15ようやく民宿タムナを探しあて、とりあえずビザ取得などのため3泊することにする。この宿はクタイシのスリコの家の情報ノートに載っていて、
スリコの家で一緒に泊まった韓国人ツーリストのヨンさんが泊まって、良かったとすすめられていた。住所はわかっていたが、
看板もなにもでていないのに、それほど苦労しないで見つけることができた。情報ノートのお陰だ。宿は長屋のような建物の2部屋。奥さんのラリが如才なく、とてもいい感じ。
ガス、水道、調理器具、食器、調味料、冷蔵庫、有料の洗濯機が使え1泊20ラリ(1200円)。首都のトビリシ駅から徒歩20分のところでこの宿泊料。驚きだ。
今日は140q近く走って、さすがに疲れたので、宿のすぐ近くのスーパーでビールと食料を買って宿で夕食。
写真はお世話になったガソリンスタンドの人
6月5日(日) 曇のち晴れたり曇ったり雨が降ったりやんだり
クタイシ〜ハシュリ
走行距離:103.01q

スリコ、メディコご夫妻に見送られ、大司さんとハシュリという町をを目指す。今日から大司さんとアゼルバイジャンのバクーまでペアランの予定。
シモネティーという町の大衆食堂で大司さんが飲みものを買うと、コニャックを飲んでゆけとグラスに注がれる。
強い酒なのでチビリと飲もうとすると、そんな飲み方はだめといってイッキ飲みをさせられる。確にうまいがまだ9:30だぜ。勘弁してほしい。
11:40心配していた雨が降り出す。バス停があったので少し早いが持参のパンで昼食。
すぐに晴れてきたが、以後晴れたかと思うと、すぐ雨が降り出すという変わりやすい天気が続く。
スタートしてから80qほど走ったあと15qほどの上り。これだけ走ったあとの上りはつらい。
10qほど上るとガソリンスタンドに湧き水があったので立ち寄ると、ワインとロビオとパンをされる。ここでもワインのイッキ飲み。
グルジアではいつもイッキ飲みだ。
このあとワインの勢いで4qほど上ってカフカス一の長いトンネルに着くと、トンネルは通行止、山道を2qほど迂回して上ってようやく下りとなる。
ハシュリの町に入って、この町のホテルを尋ねると、この町にはホテルはない。50q先のゴリというまで行かないとないという。
時間は18:50。とても走れる距離ではない。このガソリンスタンドは広い敷地なので、ここにテントを張らせてくれないかとお願いすると、
快く承諾してくれたうえに、水道はここ、トイレと洗面所はここのを使っていいという。突然のお願いにもかかわらず、とても親切にされ、感謝の気持でいっぱい。
写真は民宿のスリコ、メディコご夫妻
6月4日(土)晴れたり曇ったり
クタイシ滞在
昨日雨で行くのをやめたゲラティ修道院へ。
宿の情報ノートには、修道院行のマルシュルートカは混んで座れないといけないので、乗り場に30前に行ったほうがいいと書いてあったので、
11時発に乗るため、10:30にマルシュルートカに乗ると、空席は3席しかない。発車時刻には満員。立っている人は大変だ。修道院では十字を切って入る人が多い。
中に入ると壁面に描かれたフレスコ画と祭壇部分のモザイクが見事。修道院を出ると12:00、次のマルシュルートカの発車時刻は14:30。
どうやって時間を潰そうかと土産物店を見ていると、タクシーの運転手から誘いの声がかかる。クタイシのバザールまでの運賃は、交渉の結果10ラリ。
バザールをみて回り、とりあえず明日走っている時、こでも食べられるようにパンを買って宿に戻ると、メディコが日本人サイクリストが来ているよと言われる。
大阪から来た大司知矢(たいしともや)さん。彼はイスタンブールから上海まで走り、フェリーで大阪へ戻るという。走るルートはほぼ私と同じ。明日は一緒に走ることにする。
今日の宿泊客は日本人カップル、日本人サイクリスト、韓国人男性、ルーマニア人男性2人、ルーマニア人女性2人、私の9人。スリコが席を盛り上げ何度も乾杯が繰り返される。
ヒロシが明日自転車でトビリシ方面へ向かうので乾杯と言って、イッキ飲みをさせられる。この民宿「スリコの家」では、飲みまくった3泊4日になってしまった。
写真はゲラティ修道院
6月3日(金) 雨のち曇(13:00〜)

朝から雨。やることがないので朝食のときからワインを飲みはじめる。身体の中には夕べの酒が残っているので迎え酒だ。朝から酔っぱらってしまう。
午後になって雨がやんだので、酔いを冷まそうと歩いて観光に出かける。はじめに市街を見下ろすウメリオニの丘にあるバグラト大聖堂へ。
リオニ川を渡って階段を上って行くが、飲みすぎで息が切れる。せっかく息を切らして上ったのに、改修中で周りはフェンスで囲まれ中には入れない。残念。
次にバザールへ。食料品が中心で雑貨も売られている。安いのでごったがえしていて、凄い活気だ。宿に戻って少し横になる。
今日の泊まり客は日本人カップル、韓国人男性と私の4人。17:30頃から昨日に引き続き宴会がはじまる。
オーナーのスリコが客好きの好人物で、みんなのせられてあっというまにワインのグラスがほされてゆく。奥さんのメディコの料理もうまいし、毎晩飲みすぎだ。
チャチャという酒が香りがよくてうまい。ただアルコール43%。これをストレートで飲むわけだから酔わないはずがない。メールも送れず、ベッドにダウン。
写真はバグラト大聖堂
6月2日(木) 曇一時雨(10:30〜11:30)
ポティ〜クタイシ
走行距離:113.25q

キャンプだと暗くなると寝て、明るくなると起きる。極めて健康的。そんなわけで今日は7:30の早いスタート。セナキという町の手前5qのところで小雨が降り出す。たいした雨ではないのでそのまま走り続ける。ところがセナキに入ると雷を伴って雨が激しく降り出す。すぐ近くの売店で雨宿り。パラソルの下の椅子をすすめられたので、パンとコーヒーを買って、持参のチーズで食べはじめると、日本人?と言ってソーセージのサービス。1時間ほど雨宿りのあと、11:30雨がやんだのでスタート。12:15再び小雨が降り出す。閉店されたガソリンスタンドがあったので再び雨宿り。グルジアでは閉店されたガソリンスタンドが目立つ。12:45雨がやんで薄日がさしてきたのでスタート。サムトレディアという町のガソリンスタンドで親父と目があったので、一昨日バトゥミでグルジア全土の地図を買おうと本屋を探したが見つからずあきらめたが、ガソリンスタンドには有るかと思い聞いてみたが、やはりないようだ。でも日本から来たというと、コー
ヒーを入れてくれ、さらにアイスクリームをだしてくれる。17時クタイシに着いてホテルを探したがなかなか見つからず、地元の人に聞くと、ホテルに電話してくれ、近くだったのでホテルのオーナーが迎えに来てくれる。オーナーは酒が好きで話しがあう。自家製の白ワインやチャチャという葡萄でつくった赤と白の酒をすすめられる。チャチャの白は相当強い酒だ。酒もうまいし、料理もうまいので相当酔ってしまった。
写真はコーヒーやアイスクリームをご馳走になったガソリンスタンドのメンバー
6月1日(水) 午前中晴午後から晴れたり曇ったり
バトゥミ〜ポティ
走行距離:70.45q

町の中心街からボティに向かう幹線道路になかなかでられない。町のなかに道路標識が全くないのだ。道路あなぼこだらけの凸凹道。
これまで走った国ぐにの町中で、これほどひどい悪路ははじめてだ。リム打ちパンクを避けるため何度も自転車を降りるはめに。
交通量はクルマも人も多い。自転車は私以外はいない。道路とクルマに神経を使う。人も飛び出しがあるので油断できない。
幹線道路にようやく出てしばらく走ると、今度は厳しい上り。ここのところ平坦な道路に慣れた足が悲鳴をあげている。
昼頃コブレティという町に到着。昨日食べたハチャプリがうまかったので、又食べてみようと、タクシー乗り場で運転手にハチャプリの店を聞いていると、
ジャポーニャとか言って10数人の人だかり。日本人とフル装備の自転車、サイクルメーター、gpsが珍しいようだ。
このあたりでは結構な人気で、いろいろな人から握手を求められる。昼食後はポティの町まで走り、ホテルに泊まるつもりだったが、15:30頃黒海沿いの海岸に素晴らしいテントサイトを発見。
予定を変更してここにテントを張り、黒海最後のキャンプとする。広い海岸を独り占め。
写真はまたテントの写真で恐縮だが黒海でのキャンプ
5月31日(火) 曇一時雨(9:10〜11:00)
ホパ〜バトゥミ
走行距離:39.90q

どんよりとした曇空のなかを9時スタート。3qも走らないうちに霧雨が降り出す。
バス停があったので雨宿り。宿に戻ろうか迷ったが、ガイドブックを見ながら雨宿りを続ける。
11時雨がやんだのでスタート。道路沿いには銃を持った兵士と警察官が随所に立っている。
なにか事件が起きたのか、要人が通るのかと思いながら走り、トルコ側の国境に着くと、軍の兵士が銃を持って警備している。
私が着くと兵士が、日本人ですか国境は14時まで閉鎖されている。こちらで待つようにと案内される。
私には丁寧な応対だったが、他の人にはかなり乱暴な応対。日本人だからなのだろうか。
14時まで待つのは腕時計の時間を示しながらの説明でわかったが、理由はトルコ語だからわからない。
近くにいた英語を話せるトルコの人が教えてくれる。トルコの首相がグルジアから戻ってくるからだという。13:30首相が通過したが、国境が開かれたのは14:25。
トルコのパスポートコントロールで出国手続、続いてグルジアのパスポートコントロールで入国手続、混んでいたので全ての手続が済んで走り出したのが14:50。
時差の関係で15:50。国境に正午に到着したのにとんだトバッチリ。そんな訳で宿は国境から15qほどの町バトゥミの安ホテルに泊まる。
宿泊料は20ラリ。円に換算すると1200円程度。夕食はホテルの近くの店でハチャプリとビールで4ラリ。円で240円。
ハチャプリというのはパンの上にバターと溶かしたチーズと卵がのっていてとてもうまい。やみつきになりそう。
あまりの安さになんだかちがう世界にいるみたい。グルジアではよほど景色の良いところか、目指す町に明るいうちに着けないような場合以外は安ホテルに泊まろうと思う。
写真はトルコ側の国境。
5月30日(月) 晴のち曇(12:30〜18:00)
リゼ〜ホパ
走行距離:92.58q

スタート前、ホテルでグルジア国境に近いサープの町にホテルがあるか尋ねると首をかしげしばらく考え、ここから100q近くのサープの手前の町ホパならばホテルがあるという。サープの町にホテルがあるかどうかわからないので、今日はホパまで走ることにする。途中でチャイの刈り取り作業を行っているところを何度も見ながら走る。道路の状況は昨日に引き続き平坦。交通量は極端に少なくなる。6車線の道路を独り占めといった感じ。いつもこうだといいのだけど。町のなかを走ることもなかったので15時にホパに到着。今回のツーリングでは、今日でトルコ最後の日、明日グルジアに入国する予定。グルジアの状況がよくわからないので、洗濯を済ませ、どこでもテント泊ができるように、荷物が重くなるけど、食料を買い込む。gpsのsdカードをヨーロッパからカフカス、中央アジアに交換。ガイドブックも地球の歩き方トルコから旅行人発行のシルクロードに交換。グルジア初日は様子を見るため、トルコからはあまり距離がないが、無理をしないで、
ガイドブックにも載っているバトゥミに泊まる予定。心配なのは明日の天気。18時頃から1時間ほど小雨が降ったので。
写真は刈り取ったチャイを集めてトラックへ積みこんでいるところ
5月29日(日) 晴のち曇(11:30〜)
トラブズン〜リゼ
走行距離:80.64q

昨日トルコリラをドルに両替しておこうと思ったが、雨が降ってきたので、急いでホテルにもどったので、
今朝スタート前に両替しておこうと、ホテルで両替屋が何時に開くか聞いてみると、日曜日で休みだという。
今日はキャンプと思っていたが、このため予定を変更。次に大きな町チャイの産地リゼのホテルに泊まり、翌朝両替をしてからスタートすることにする。
グルジアではユーロとドル以外は両替ができないと聞いているからだ。そんな訳で今日は距離が短いので、余裕をもって走る。
オフという町に入ったあたりで、ガソリンストーブでお湯を沸かし、コーヒーを入れてパン、バター、チーズ、ジャム、ソーセージ、バナナで昼食。
このあたりからチャイの畑が目につくようになる。黒海から陽当たりの良い南斜面に民家とチャイの畑が山の上まで広がっている。
でもこれがチャイだという確信がもてない。誰かいたら聞いてみようと思って走っていると、
ガソリンスタンドからいつものようにチャイを飲んでゆけと声がかかる。そこでチャイのことを聞いてみる。
今がちょうど刈り取りの時期で、大きなハサミのような道具で、人手によって刈り取り、機械を使わないので、一家総出で行うようだ。
オフの町からリゼの町に入ると、先程ガソリンスタンドで聞いたような光景に出会う。一家総出でチャイの刈り取り作業を行っている。
今日はチャイ畑やチャイの刈り取り作業を見ることができ大満足。
リゼには16時前に着いてホテルを探していると、若い男性に珍しく英語で声をかけられ、安いホテルを探していると言うと、ホテルまで案内してくれる。
早い時間に着いたので、町の中を歩いてみると、両替屋があったのでトルコリラをドルに両替。
これで他の国で使えない金を持たなくてすむ。明日国境近くに泊まり、明後日グルジアに入国する予定。
写真はオフの町のチャイ畑 写真はチャイの刈り取り作業
5月28日(土) 晴のち曇(12:00〜15:00)のち雨が降ったりやんだり
今日は休養。

休養といっても自転車に乗らないだけでやることがいっぱいある。朝ゆっくりと8時に起きて、午前中は自転車の手入れ、洗濯。
昼食はホテルの近くのレストランで、海に近い町から魚がうまいだろうとハムシィ(イワシ)のフライを注文。
たまねぎ、トマト、きゅうりとともに20匹のハムシィのフライが出てくる。レモンを絞って食べる。からっとしてとてもうまい。
昼食後は町の中をぶらつき、アウトドアショップを探したがみつからなかった。
途中から雨が降り出したので、スーパーで夕食と明日の朝食を買って、ホテルに戻る。
このホテルは1泊15リラ。一昨日泊まったキャンプ場と同じ。シャワー、トイレ共同で朝食がつかない。
でも部屋から黒海が見える。雨が降り出し、面倒なので夕食も朝食も買って、ホテルで食べる。今日は休養日でよかった。
自転車で走っていれば、雨に降られたかもしれない。
5月27日(金) 曇のち晴(11:00〜)
ギレスン〜トラブズン
走行距離:135.32q

ギレスンからトラブズンまでは、私の脚力では少し距離が長いが、中途半端になるので、頑張って走り安ホテルを探して2泊することにする。
2泊する目的は休養、自転車の手入れ、洗濯、メールの送信が主なもの。今日のルートは左手に黒海を見ながら緩かなアップダウンが続く。
今日もいつものようにチャイを飲んでゆけと声がかかる。チャイを飲んでゆけも、いつものようにという表現を使うほどになった。
トルコでサイクリストに出会ったのはイズミルとイスタンブール。私のようなフル装備のサイクリストには、いまのところ全く出会わない。
だからめずらしいのでチャイを飲んでゆけと声がかかるのだろうか。
私のほうもいろいろな人から話を聞けるし、ちょうど良い休憩となって、そのあと又頑張って走れるので一石二鳥だ。町の名前を聞くと、チャルシバシイ。
彼の名前はルッダン チャルクさん。紙に書いてくれ、写真を撮ろうというので記念撮影。なんだかチャイを飲んでゆけの話ばかりになってしまう。
8:30にスタート、到着18:00。昼食、休憩を含めて10時間もよく走った。トラブズンに入って中心街まで2q近くの石畳のアップダウン。
下りでも荷物が跳ねて乗れない。ずっとホテルを探しながら押しくる。
自転車に乗っているより疲れる。疲れた疲れた、疲れて参った。
5月26日(木) 午前中晴午後から晴たり曇ったり
ユニエ〜ギレスン
走行距離:115.43q

天気も良く左手に黒海を見ながら潮風を浴びて気持良くスタート。今日も黒海沿いでキャンプをするつもりだ。
途中スーパーに寄って水と食料を購入。カードで支払おうとすると、カードが機能しないという。
もたもたともう一枚のカードを取り出して支払おうとすると、レジーの女性から私のすぐ後に並んでいた人が支払をしたという。
すぐ追い掛けて現金を渡そうとしたが受け取ってくれない。センギグさんといいう。写真を撮らせてもらってお礼を言うとグッドラックと言われる。
せっかくお世話になったのに、聞き取れたのはこの言葉と、ジャポン、これから目指す方向の町トラブスンだけだった。
お金のことより気持が嬉しい。道路は黒海から離れ山道にさしかかる。長く緩かな上りが続く。
上りきったあたりから3820mの今回のツーリングでは、はじめての長いトンネル。
トンネルに入って2〜3百m走ると、私の自転車の後にクルマがぴったりと着いて離れない。目いっぱい右端に寄ってもた抜こうとしない。
他のクルマがびゅんびゅんと追い越してゆくのに。すぐ気が付いた。
私を他のクルマからガードしてくれているのだ。3800m余りにわたって私の自転車のスピードに合わせて走ってたのだ。
トンネルを出るとすぐ追い越してゆく。目があったのでお礼のつもりで手をあげると、向こうよ手をあげてくれる見ず知らずのものへの心使いが身にしみる。
16時頃ギレスンから25qほどのところ町で4、5人の人からチャイを飲んでゆけと声を掛けられる。
チャイをいただきながら、この辺りにキャンプできるところはないかと尋ねると、キャンプできるところはない、ホテルならあるという。
そのうち一人がトラブズンに行くならギレスンからフェリーにのったらという。
ギレスンまではここから25q。それも面白いと思い、頑張ってギレスンまで走ることにする。
ギレスンに着いて明日のフェリーの時間を調べようと、警察官がいたのでフェリー乗り場を尋ねてみると、今はもうフェリーはやっていない。
この道を走ってゆくしかないという。何のためにここまで走ったのか意味がないじゃないか。
しょうがないので安いホテルを探して泊まることにする。2軒のホテルでことわられた。
ちょうど警察があったので二つ星あたりの安いホテルを探しているというと、ホテルに電話をしてくれる。3軒目でようやく空室が見つかった。
場所を聞くとついてこいといってパトカーで先導してくれる。ホテルについて料金を聞くと60リラ。私には高すぎる。
安いホテルと言ったのに言葉が通じてなかったようだ。
でも警察で探してくれ、パトカーで先導されて断るわけにも行かないので、ここで方便、警察50リラと聞いたけどというとあっさり50リラに。
ホテルの近くでは何かのイベントが行われている。衣料品、絨毯、時計、指輪、ネックレス、雑貨などが売られている。ここの屋台で食べあるき。
そしてナイキの靴下が1リラ、アディダスのバンツが10リラ。イベントで安いのか、偽物で安いのかわからないが、使いすてでもいいと思って購入。
なんだか毎日イベントにぶつかって楽しい。

5月25日(水) 霧のち曇(9:00〜12:00)のち晴
サムスン〜ユニエ
走行距離:87.15q

8:15霧のなかをスタート。黒海も町の様子もわからない。9時頃霧がはれたが曇空。道路は今日一日をとおして平坦。
フロントギアも一日をとおしてアウター。センターやインナーは一度も使わなかった。こんなことは今回のギアツーリングではじめてだ。
気温も道路に取り付けられた温度計は28度をさしているが、暑さを感じない。むしろ爽やかな感じだ。湿度が低いからだろうか。
10:45チャルシャンメという町にさしかかると何か市だ開かれている。野菜、果物、乳製品、衣料品、雑貨、生きた鶏まで売られている。
売るほうも買うほうも人でいっぱい。今日が特別な催しなのか、毎日こんなふうなのか、聞いてみても英語が通じないのでわからない。
ビニールの袋に無造作に入った手作りのチーズを買ってみた。12時少し前家の外でチャイを飲んでいる人と目があった。
メルハバとあいさつすると、チャイを飲んでゆけと手招きされる。アメ エローさんという。チャイをいただきながら地図を見て話をする。
彼の話だとテルメという町のようだ。日本からきたというととても喜んでくれる。
今日は地図に載っているキャンプ場に泊まろうと思って気をつけて走っているがなかなかみつからない。黒海沿いにあるはずなのに。
15:30ユニエの町に入ったところで、案内表示を見落としていないかと思い、ガソリンスタンドがあったので聞いてみると、なんと数百mほど通りすぎたところだという。
聞いてみてよかった。戻ってみると、やはりキャンプ場の表示はない。道路から少し低いところにあるので、私が走ってきた方向からはキャンプ場が見えない。
逆方向だと見えるのだ。でもトルコではじめてのキャンプ場、しかも黒海沿いのキャンプ場だ。もうそれだけで満足。
このキャンプ場にはレストランもある。もちろん温水シャワーもある。今日チャルシャンメの市で買ったチーズのことだが、なんとバターだった。
チーズと聞いて買ったのに。やっぱり言葉が通じてなかったようだ。

写真は黒海の夕日。こんな風景は日本でもどこでもあるかな。
5月24日(火) 晴
ハブザから10q先〜サムスン
走行距離:83.23q

朝テントを開けると水滴が落ちてくる。テントの外に出ると、テントや自転車、外に置いたものが夜露でびしょ濡れ。凄い露で雨が降ったみたいだ。
午前中はサムスンまで50qあたりで厳しい上り。フル装備で食料満載の自転車では、私の脚力では上れない。
4qほど押したり休んだり。11:15石窯でパンを焼いているロカンタがあったので、少し早いがここで昼食。
チョルバ(スープ)とパンを注文。予想どおりパンは最高にうまい。食べ終わるころロカンタの親父がチャイを持って私の前に座る。
注文していないかというと、サービスだという。続いて親父の知り合いが横に座り、又チャイを注文してくれる。
食べ終わってパンを焼いているところを写真に撮らせてもらうと、今度はパンのサービス。注文したものよりサービスのほうが多いみたいだ。
昼食後サムスンまで40qのところで工事。工事区間は約3q。上り坂で片側一車線。路肩が荒れていて道路の幅が狭い。
ハンドルが振れるとクルマと接触しそうで危ない。危険を避け、押して上ることに。なんだか今日は押してばかり。
サムスンまで20qのアダアという町のタイヤ販売店の前で休んでいると、店の人がチャイを飲んでゆけと言って、チャイを入れてくれる。
セイフェティン エルバイさんといい、道路の状況を説明してくれる。そして写真を撮ろうと言って記念撮影。
サムスンに着いて道ゆく人に観光案内所を尋ねると、一緒に行こうと言って連れて行ってくれる。観光案内所でも先ずチャイを入れてくれる。
20〜30リラの安いホテルを紹介してくれと言うと、電話で予約してくれる。ホテルでは近くの道路に出て待っていてくれる。
寝袋のいいのが欲しいと思って、ホテルでアウトドアショップを聞いて行ってみたが、いい品物がないので買うのをやめ町のなかを歩いてみた。
クルマが渋滞したり、人出も多いが雰囲気はいい。
5月23日(月) 晴のち曇(11:00〜16:00)のち晴
オスマンシック〜ハブザから10q先
走行距離:96.85q
午前中は緩かな上りで距離が伸びない。道路沿いでたまねぎを売っている。
目があったのでメルハバ(こんにちは)と挨拶すると、カムカム、ジャポーネ、チャイチャイと言って手招きされる。
チャイをいただきながらボディランゲージを交えて話をする。ここでも大震災が話題になる。
フォトフォトと言われ、写真を取り合ってスタート。正午頃道路沿いの空き地で食事をしていると、近所の年寄りの男だろうか、シガーシガーと言ってタバコをねだってくる。
英語で持っていないかというと、英語がわからないのだろうか、失礼にもフロントバッグに手を触れてくる。
ふざけるなと日本語で怒鳴ると、驚いた様子で手を引っ込める。日本だって、トルコだって、他の国だって知らない国の人にタバコをせびるようなことはしないと思う。
トルコにこんな人がいようとは、残念なことだ。午後からは多少のアップダウンはあるものの快調に走り、17:30ハブザを過ぎて10qほどのところにテントを張る。
昨日買った米や野菜等で料理をして夕食。米のご飯はけっこういけた。

写真はチャイを入れてくれたスレイマン サルバーシさん

5月22日(日) 晴たり曇ったり
トスヤ〜オスマンシック
走行距離:80.59q

今日は日曜日で仕事が休みなのだろうか。8時になっても誰も出てこない。9:30子供が呼びに来て、ようやく朝食。
日曜日は何もなければ、いつもこんな調子だという。ターシンからヒロシさえよければ、もっと泊まってゆけばと言われる。
その瞬間はそれではもう少し泊めていただこうと思った。いくら居心地がいいからといって、いつまでもいたらきりがない。
思い直して今日スタートすることにする。後ろ髪を引かれる思いだ。
国道までターシンと絵理子さんにクルマで送ってもらってスタート。17時オスマンシックという町に到着。
キャンプに備え、スーパーで水と少し食料を購入。店を出ると地元の人が5、6人自転車のまわりにいる。フル装備の自転車が珍しいようだ。
そのうちの一人が英語でいろいろと聞いてくる。こちらもこのあたりにテントが張れそうなところはないかと聞いてみると、テントを張れる場所はないが、ホテルはあるという。
20〜30トルコリラで泊まれホテルがあるかというと、着いてこいと言って連れて行ってくれる。
ところが1泊50リラ。高いからやめるというと、ちょっと待ってと言ってホテルの人と何か話している。
35リラにさせたがどうするというので、せっかくそこまでやってくれたので、私にとっては少し高いが泊まることにする。
けっこういいホテルで、シャワー、トイレ、電話、テレビ、エアコン、アメニティー、スリッパ、ドライヤー、朝食付。トルコに入ってはじめてエレベーター付のホテルに泊まった。
夕食に町に出るて、ケバブ屋の前を通るとケバブを作っているのが見える。お客もけっこう入っているので、ここで夕食。予想どおりうまい。
私はお客が多い店に入るようにしている。食料も買ったし、明日はキャンプだ。
写真は左からターシンさん、私、絵理子さん
5月21日(土) 曇
トスヤ滞在

今日はターシンが午前中の仕事が終わったあと、ホテルまで迎えに来てくれることになっている。
午前中はこの町に泊まった目的で、ターシンの家におじゃまするという想定外の出来事があってできなかった仕事をかたずけることにする。
先ず自転車の手入れ、次に洗濯、次に食料の購入。全て終わらせ近くのロカンタ(大衆食堂)で昼食。
昨日ターシンの家の夕食で美味しかったスープと同じものがあったので食べてみた。やっぱりターシンの家で食べたもののほうが美味しい。
ホテルをチェックアウトし、迎えがくるまでロビーで待たせてもらう。市役所へ昨日のお礼に行こうとしたら、今日は土曜日、残念。
午後迎えに来てもらい、昨日に引続きターシンの家へ。ここは高台というか山の上で、トスヤの町全体が見渡せる。
ターシンは日本ではトルコ料理店を赤坂、浅草、渋谷で経営し、トルコでは養鶏を営んでいる。
日本人の奥さんの通訳で家族や親族、従業員たちとチャイを飲みながら楽しく過ごす。夕食はトルコの家庭料理。こんな料理が食べられて大満足。
いつも料理は全て手作りだという。人情は厚いし、景色はいいし、空気はきれいだし、食べ物はうまいし、いつまでもここにいたいと思う。
トスヤに立ち寄って本当によかった。
5月20日(金) 曇一時雨(9:30〜10:15)
トスヤ滞在

激しくテントを打つ雨の音で目が覚める。時間は2時。今度は鳥の声で目が覚める。時間は6時。雨は止んでいる。
天気がよければ濡れたテントを乾かしてからスタートするのだが、どんよりとした曇空。
いつ降り出すかわからないので、濡れたテントをたたんで8:15スタート。
走り出して間もなく、道路は工事のため舗装を剥がした後の砂利道が3q余りにわたって続く。昨夜の雨でどろんこ道。
自分ではねあげた泥と大型トラックのはねあげた泥で、自転車も荷物も着ている物も泥だらけ。
そこを通り過ぎると9:30頃から今度は心配していた雨が降り出す。ガソリンスタンドで雨宿り。
10:15雨が止んだのでスタート。天気が悪いのとはねあげた泥で汚れたので、次の町でホテルを探し泊まることにする。
自転車の手入れ、洗濯、濡れたテントを乾かすのが目的。観光案内書にはないが地図に載っているトスヤという町に着いて、
学生風の3人に観光案内所がないかと訪ねると、そのうちの一人キャーナンティルさんが少し英語が話せ、観光案内所はないという。
安いホテルを探しているというと、ホテルまで案内してくれる。ホテルのすぐ近くに市役所があったので、
町のことを聞いてみようと訪ねてみると、日本人が観光でこの町に来るのは珍しいと歓迎してくれる。
日本語を話せる人はいないかというと、対応してくれた女性職員のグルセン セベシオグルーさんがどこかに電話し、少し日本語を話せる人を呼んでくれる。
その人の紹介で電話でカラバカル ターシンさんの奥さんの絵理子さんと話しをする。このあたりから予想外の展開となる。
セベシオグルーさんとカラバカルさんの家に行くことになる。クルマでカラバカルさんの家に行くと、
絵理子さんが久しぶりに日本語が話せると大歓迎してくれ、夕食をご馳走になり、ターシンさんにホテルまで送っていただく。
絵理子さんからはぜひ泊まってゆくようにすすめられ、明日はターシンの家に泊めていただくことにする。
トスヤに泊まる目的とは全く違う展開となったが、とても楽しく過ごすことができた。明日も楽しみだ。
5月19日(木) 晴のち曇(11:30〜) のち小雨(19:00〜19:20)
カラビュク手前10q〜llgas手前15q
走行距離:102.11q
昨日カラビュクトセレケスの中間と書きましたが、今日走りして10qのところにカラビュクという標識が出ていましたので、カラビュクの手前10qと訂正してください。
山岳地帯で厳しいアップダウンを覚悟して走りだしたがたいしたことはなく、昨日、一昨日のように押しが入ることもなく、久々に100qを越える走りができて満足。
正午近く急に黒い雲が出てきたかと思うと、雨はふらないが雷がなりだす。
近くにレストランがあったので、雷を避けて昼食休憩。食事のあと頼んでないチャイがでてくる。
頼んでないというとレストランからのサービスだという。チャイをいただいたことよりその気持ちが嬉しい。
空も明るくなってきたのでスタートしようとすると、作業着を着たグループに話かけられる。
言葉は通じないが、どうやら道路沿いに植木を植える作業をしているらしい。
自転車につけてあるサアクルメーターとgpsに興味があるようだった。
動かして説明すると、ひとりから日本語でありがとう、さよならと言われる。
昼食後も快調に走って、キャンプサイトを探していると川が流れている。川辺に降りるところを見つけここでキャンプ。
少し冷たいが我慢して裸になって川に入り、頭から足の先まで洗ってさっぱりする。そのあと夕食を作って食べたが、水浴したのにビールがないのが残念。
夕食後テントに入ってかたずけをしているとパラパラと雨がテントをうつ。心配しても始まらないが、やっぱり雨漏りが心配。
小雨ですぐ止んでくれたので安心して川の流れの音を聞きながらメールをうつ。
5月18日(水) 晴一時小雨(16:15〜16:35)
ボル〜ゲレデとセレケスの中間辺り(?)
走行距離:74.95q
昨日は3日ぶりにホテルに泊まって、シャワーを浴びて無精髭もそった。
洗濯、機器類の充電もした。スタートの準備をしようとフロントに行くと、すぐ倉庫から自転車を出して来てくれる。荷物をつけようとすると手伝ってくれる。
昨日もスーパーの場所を尋ねると連れて行ってくれたり、とてもサービスが良い。警察の紹介だからではなく、いつもそうなのだろう。
そのようなわけで気持ち良くスタートできた。天気も良く晴れている。気になるのは遠くに見える入道雲。スタートして15qほど下ったあとは厳しい上りが続く。
今日も押したり休んだりだ。8:15にスタートしたのに午前中の走行距離は40q。朝入道雲を心配したが16:15ごろ小雨が降り出す。
たいした雨ではないが、道路が立体交差しているところがあったので、そこで雨宿り。山のなか本降りになったときの用心だ。
20分ほどで止んで、太陽が射してきたので又走りはじめる。17時を少し過ぎたところで写真のようなところがあったのでキャンプ。言い訳になるかもしれないが、
昨日、今日と厳しい上り坂と雨に悩まされ距離が伸びない。明日以降も山岳地帯。無理をしないでのんびり走ろう。
5月17日(火) 晴一時雨(14:30〜16:00)のち曇
ヘンデク(?)〜ボル
走行距離:80:38q
今日も朝からよく晴れている。昨日、一昨日と半袖で走ってすっかり日焼けし、肌がヒリヒリするので、今日は薄手の長袖サイクルジャージで走る。
順調に走り、正午ちかくボルまで28qの標識を見て、食事をしてゆっくりしても、15時にはボルに着くと思ったがとんでもない。
ここから10qにわたり激坂。大型トラックもうなりながらノロノロと上って行く。自転車を漕いで上れたのは、最初の2〜3q。
あとは押したり休んだり。14:30峠の頂上まであと1qのところで、今まで晴れていた空に黒い雲が出てきたかと思うと、雷が鳴って雨が降り出す。
すぐ近くにレストランがあったので雨宿り。レストランの人にどこから来たのと聞かれ、日本からと答えると、ここでも地震の話。
そのあとチャイを入れてくれる。30分ほどで雨が止んだのでスタート。押して上ろうとしたが、レストランの人が見ているので、見栄をはって懸命に漕いで上る。
峠から下りはじめて3qほど下ったところで又雨。今度は警察があったのでそこで雨宿り。
警察官が出てきて中国人と言われたので、日本人と答えると、中で休めと招き入れてくれ、ここでもチャイを入れてくれる。警察官はオルハン バジャランさん。
今日はどこまで行くのかと聞かれたので、ボルまで走ってホテルに泊まる予定。
安いホテルを知らないかと尋ねると、仲間と相談してバソコンで調べて、1泊25リラのホテルを紹介してくれ、ここに泊まるかと言うので、泊まるというと、電話で予約してくれる。
そのあと3〜4qほど走ると道路は乾いていて雨の降った形跡はない。局地的な雨だったのかなー。
ボルの町の中心で地元の人にホテルの場所を尋ねると、運良く、そのホテルは友達がやっていると言って、ホテルまで連れて行ってくれる。
今日は激坂と雨に悩まされたが、親切な人たちに出会って本当に心暖まる素晴らしい一日となった。
5月16日(月)晴
ヘレケ(?)〜ヘンデク(?)
走行距離:103.53q
今日も昨日に引続き晴れて暑い。道路に取り付けられ温度計は、正午で29度をさしている。
午後からは直射日光を後ろから受け、首筋がヒリヒリする。写真のように首に手拭いを巻いて走る。
我ながらひどい格好にあきれる。まったくファッション性がないなあー。
道路も定規で線を引いたように、長い一直線。地平線まで一直線だ。gpsの画面も真ん中に線が一本通っているだけ。
平坦なときはまだいいが、上りでこれが続くとたまらない。少しは変化がないとなー。ストレスのたまる走りだ。
そんななか17:30 草原にテントを張れる場所を見つけ、昨日に引続きゲリラキャンプ。
5月15日(日)晴
イスタンブール〜ヘレケ(?)
走行距離:83.83q

朝いきなりのショック。昨夜同室になったニュージーランドからやってきた女性が、パンツ一枚になって着替をしている。
トルコに入国してから、女性が髪や肌を見せないファッションを見慣れてきたせいか驚きだ。
朝食は8:30からなので、9:30の遅いスタート。受付で今日のルートを再確認すると、私が走ろうと思っていたボスボラ大橋は自動車専用道で自転車は通行できない、
スィルケジからハレムへフェリーで行くようにと言われる。再確認してよかった。イスタンブールの町を自転車で少し遠回りしてスィルケジのフェリー乗り場へ。
ちょうど10:30発のフェリーがあったのでこれに乗船。フェリーからみるイスタンブールの町が素晴らしい。昨日行ったスルタンアフメット、アヤソヒア、トプカプ宮殿が見渡せる。
対岸のハレムには15分ほどで到着。今日はとても暖かい。トルコ入国以来初めて半袖シャツで走った。イスタンブールて゛休養十分なので身体が軽い。
自転車も調整したので調子がいい。gpsも買い換えたし。あとはキャンプに備えて食料を買えばいい。ところがスーパーがみつからない。
道路がバイパスのような感じで、町の中に入らないからかもしれない。水だけは補給しておこうと、ガソリンスタンドに立ち寄ると、マーケットが閉まっている。
スタンドの人に尋ねると、今日は日曜で休み、ミネラルウォーターなら事務所のを飲んでいいといい、ペットボトルにも入れてくれる。
ガソリンも入れないのに思いがけないサービスが嬉しい。水が補給できたので、パスタがあるのでなんとかなる。
16:30 海岸沿いの景色の良い所に出たのでキャンプサイトを探すが、ガードレールの下は崖となっていてなかなか海岸に降りられない。
キャンプサイトを探していて気が付かなかったが、サイクルメーターが作動していない。調整してみたがダメ。
ホイール側の電池を取り換えると復活。出かける前に取り換えたのに。電池が古かったのかなー。そのあと直ぐに海岸に降りる道路を発見。
またしてもゲリラキャンプだ。夕食はパスタを茹で、インスタントスープを入れてみたら、これが結構いけた。ギリシャで買ったスープだがトルコにあったら買っておこう。
写真は今日のキャンプサイト
5月14日(土)晴
イスタンブール滞在

朝から観光。先ずブルーモスクの名前で親しまれているスルタンアフメット・ジャーミイへ。壮大で均整のとれた美しさに圧倒される。
中に入ると壁一面にはられた採色タイルとステンドグラス、ドームに施された装飾が素晴らしい。
ただ信者が集う神聖な場所にも関わらず、大勢の観光客でごったがえし、うるさすぎて信者がかわいそう。次にアヤソフィア博物館へ。
内部は多数のモザイク画があり、当時の文化の高さを象徴している。次にトプカプ宮殿へ。小高い丘の上に建てられていてマルマラ海とボスボラ海峡が見渡せる。
素晴らしいロケーション。70万uの敷地をもつ。なにしろ広大。そして内部にある秘宝も膨大だ。ここも観光客でごったがえし、立ち止まって秘宝をみる余裕はない。
3カ所見ただけで人、人、人…あまりの観光客の多さに疲れはて、食事をして宿に戻る。
宿で明日からのルートを尋ねると、自転車だとボルという町まで走り、そこから黒海沿いに出て、黒海沿いにグルジアを目指すのがいいようだ。
居心地の良いユースホステルなのでもう少しとどまりたいが、きりがないので明日からこのルートを走ろう。
写真はスルタンアフメット
5月13日(金)晴
イスタンブール滞在
走行距離:12.31q

朝食を食べに食堂に行くと、若い日本人女性と出会う。井口さんといい、昨日埼玉から一人やってきたという。同じ部屋なのに気が付かなかった。
このユースホステルは6人の男女相部屋。今日は先ず自転車屋さんを探そうと町に出ると、運良くマウンテンバイクに乗ったサイクリスト出会う。
アウターに入らないので自転車屋さんを探しているというと、着いてこいと言って案内してくれる。後ろから見ていると相当乗り込んでいる感じ。
自転車捌きが良くかっこいい。アブドラフ イルマズさん。連れて行ってくれた店は販売部門と修理部門が分かれているようで1階と地下にある。
修理部門にある部品はシマノオンリーだ。シフトワイヤーを交換。ホイールが振れていると言われる。
フル装備で重い荷物を積んで、イタリア、ギリシャの石畳を走ったのが堪えたのだろう。スポークも調整。ついでにブレーキも調整する。
アブドラフの写真を撮らせてもらって、お礼を言って別れる。彼と出会ったことが幸運だった。続いて販売部門でグラブと靴下を買う。
消耗品は大きな町で買っておいた方が安心だ。次に故障したgpsの修理のためgpsショップへ。
修理できないかと聞くと、答えは予想どおりすぐにはできないという。それでは新品を買うから下取をしてくれというと、予想に反して下取をしてくれる。
価格は240リラ、日本円で15000円程度。思いきって購入。買い物が終わったので食事をして一度宿に戻る。
イスタンブールも交通量が多く、坂、石畳も多いので、午後からは歩いて郵便局にエアメールを出しに行く。宿に戻って部屋に入ると日本語でこんにちはねと挨拶される。
日本人ですかというと韓国人。4年間日本で仕事をしていたという。暫く雑談。このところ日本語で話す機会多くリラックスできる。ドミトリー(相部屋)はいろいろな人との出会いが楽しい。
5月12日(木)曇り一時雨(9:30〜10:15)
ススールク手前2qの川辺〜イスタンブール
走行距離:64.21q

今にも雨が降り出しそうな曇空のなか8じスタート。9:30頃から心配したとおり雨が降り出す。雨宿りできそうな場所がなかなかみつからない。
バス停のようなところがあったので、そこで雨宿り。なかなか止みそうもないので、あきらめて雨仕様に装備を整えスタートしようとすると雨が止んだ。
レインパンツだけを脱いでスタート。正午頃バンディルマまで26qの標識の近くにロカンタ(大衆食堂)があったので入って行くと、地元の人の視線を感じる。
観光案内書にも私の持っている地図にも載っていない町。外国人がくるようなことは珍しいのかもしれない。目があった人が話かけてくる。
中国人か日本人かと聞かれ。日本人と答えると、何か言っているがわからない。
そのうちテーブルを揺することと東京が聞き取れたので、大震災のことと思って東京は大丈夫、観光に来てくれと言っておく。
トルコの知らない町でも大震災が話題になるとは思わなかった。食事のあと走り出すとまた変速機の調子が悪く、アウターにシフトできない。
イスタンブールで自転車屋を探してみてもらおう。15時を少し過ぎた頃バンディルマに到着。フェリーのチケットを買ってから町のなかを少し歩いてみようと思っていると、
フェリーは15:30発、急かされてチケットを買ってすぐ乗船。残念ながら町のなかを見て歩くことができなかった。フェリーは予定通り18時イスタンブールに到着。
旧市街の中心部にユースホステルがあるので探していると、旅行会社の前で日本語で声をかけられる。流暢な日本語。京都から来たカップルもいて話が弾む。
久しぶりの日本語での会話。そのうちモツと野菜を挟んだパンとチャイを近くの人が差し入れ。これが実にうまい。
案内所の人にユースホステルの場所と自転車屋、gpsショップの場所を聞いておく。
ユースホステルに着くと受付がすごく感じが良く雰囲気がいいので、1泊のつもりで翌日は別のホテルと思っていたが、とりあえず3泊予約する。又携帯で写真を撮るのを忘れました。
5月11日(水)晴
バルケスィル手前20q〜ススールク手前2qの川辺
走行距離:104.68q

今日は風もなく8時スタート。9:30頃から少し風が出てくる。不吉な予感。11:30頃からやはり今日も強い向かい風だ。
バルケスィルの町でパンとミネラルウォーターを買って、キャンプし場合に備える。ここから15qほど走ったところで、地図にない町の標識が現れる。
食料の心配をしないことで気が緩んだのか、道を間違えたのだ。今回のツーリングで初めて道を間違えた。強い向かい風の上りで15qのロス。大ショックだ。
他に道がないので間違えたところまで15q戻る。往復30qだ。勘弁してくれ。しっかりと地図を確認しないといけない。
元に戻ってからもアップダウンと強い向かい風。食料はあるがガソリンが少ない。ガソリンスタンドで買おうとしたが2軒で断られる。
トルコ語ので断られる理由がわからない。テロかなにかの関係なのだろうか。今度はガソリンスタンドがなかなかみつからない。
時間も18時近く。ようやくあったガソリンスタンドで又も断られる。面白くないので事務所の奥にいる責任者らしい人に掛け合いようやく買えることに。
時間も遅いのでキャンプサイトがなければススールクでホテルに泊まるつもりで走っていると、
運良くガソリンスタンドからすぐのところに川辺のロケーションの良いキャンプサイトが見つかった。ここでキャンプ。
写真はススールク手前2qの川辺
5月10日(火)晴
アクヒサール〜バルケスィル手前20qの湖畔
走行距離:69.15q

今日も昨日に引続き強い向かい風。その上に上りが多い。時おり風にあおられハンドルをとられる。
そんな状況で、7:30にスタートしたにも関わらず、午前中の走行距離はたったの40q。走るのが嫌になるようなスピードだ。
14時頃坂を必死で上っていると、追い越して行ったパトカーから警察官降りて止まれの合図。パスポートのチェックかと思って止まると、
どこから来たのと聞かれ、日本からと答えると、何か言ったあと握手を求めてくる。さらに何か言ったあと、今度はキャンディを手渡してくれる。
トルコ語で言葉はわからなかったがとても親日的な感じで嬉しい。このあと風は相変わらず強い向かい風だが道路はようやく下り基調となる。
フロントのギアもこれまでセンターかインナーばかりだったが、ここからアウター中心となる。
昨夜ピットツルオカさんからのメールの調整方法のご連絡をいただきしっかりと調整していたので良好な状態に戻った。ピットツルオカさんに感謝。
16時頃ロケーションの良い場所が現れる。ここでキャンプをしたいと思ったが水が少なくなっている。食料は持っているのに。
あきらめて先に向かおうとすると、運良くガソリンスタンドがあった。ここでミネラルウォーターを購入、親父に湖畔でキャンプしても大丈夫と尋ねると、大丈夫だ。
どこから来たの聞かれたので、日本からと答えると、チャイを飲んでゆけと、あたたかいチャイを入れてくれる。
湖畔でテントを張っていると、トラクターに乗った親子が降りてきて、テントを張るのを手伝ってくれる。
今日は走る方は風と上りで厳しかったが、素晴らしい出会いとトルコの人の親切に嬉しい一日だった。
写真はテントを張るのを手伝ってくれたチェティン親子
5月9日(月)晴
イズミル〜マニサ〜アクヒサール
走行距離:63.51q

ホテルから幹線道路に出ると、私を追い越したクルマが停まって、手を出して止まれの合図を送ってくる。なんだろうと止まると、なんと昨日出会ったムハリスだ。
もう会うこともないと思っていたのでびっくりだ。彼はマルサという町にある会社に通勤の途中だという。マルサまでは上りがきついのでこのクルマに乗って行けという。
すぐ自転車用のラックを取りだし、クルマの後部に2、3分で簡単に取り付ける。彼はビアンキの工場に勤めている。一緒に会社に来ないかと誘われ、行くことにする。
会社に着くと、守衛がすぐゲートを開く。顔パスだ。すぐ事務室へ。個室だ。コーヒーを入れてくれ、東芝のパソコンでビアンキや彼が走ったアメリカやカナダ、自宅や奥さんの画像を見せてくれる。
その間に社員が2度ほど書類をもってサインをもらいにくる。昨日はサイクルジャージでわからなかったが、今日の雰囲気では管理職だと感じる。
その後工場見学。写真を撮らせてもらっておいとまする。時間は10時。今日は走れるところまで走ってキャンプをしたいと走りはじめる。
正午を少し過ぎた辺りでレストランがあったので昼食。薄焼きパンの上に肉を乗せ、テマトととおがらしを添えたチョブ・シシという料理を食べてみる。パンと肉がうまい。
昼食後13時に走りはじめる強い向かい風。時速は8〜9q坂を上っているような感じ。途中で午前中は正常に作動していた変速機の調子が悪い。
フロントのギアがアウターに入らない。調整したがダメ。この向かい風でアウターに入れることはあまりないので、宿についたら調整しようと、
いつもの自転車屋さんピット ツルオカに調整の仕方を教えてくれとメールを送っておく。16時アクヒサールという町に入った。町の人に観光案内所を尋ねるとないという。
キャンプ場はないかというと、これもない。ホテルはと尋ねると、雰囲気から察したのだろう。安いホテルがあるという。紹介してもらったホテルでは自転車は部屋におかしてくれる。
携帯を開くとピットツルオカさんから早速調整の仕方のメールが入っている。ありがたい。歯ブラシで細かいところまで汚れを落とし、
オイルをさして軽く拭き取り、自転車を上下逆にしてアジャスターボルトで調整すると復活したようだ。明日の走りが楽しみ。
昨日、今日とデジカメでは写真を撮ったが携帯で撮るのを忘れた。
ボケがはじまったのかなー。そんなわけで写真が送れないことをお許しください。
5月8日(日)晴
チェシメ〜イズミール
走行距離:85.67q

チェシメの町を出ると、20qほどは原野の中の一本道でアップダウンが多く厳しい。交通料も少なく、信号もガードレールもない。ウルラという町から急に交通料が増える。
イズミルに着いて、タクシーが停まっていたので観光案内所をたずねていると、ちょうどその場を通りかかったサイクリストが声をかけてくれる。
今日は日曜日で観光案内所は休み。何を探しているのと聞かれたので、キャンプ場を探しているというと、キャンプ場はないという。
観光案内書に載っているホテルを聞くと、これから行くバイクショップの近くだから、案内するからついてこいと言われ、一緒にバイクショップに行く。
案内してくれたサイクリストはムハリス ディルマク。バイクショップでは日本から来たというと大歓迎され、お腹がすいているだろうとパン、チーズ、牛乳をだしてくれる。
ムハリスと店のスタッフと雑談したり写真を撮ったりしたあと、バスマネー駅前のホテルに向かう。ホテルに荷物をおろしたあと町に出かける。
運良く食べたいと思っていたさばサンドがあった。ビールと良くあって実にうまい。
5月7日(土)晴
ピレウス〜シオス〜チェシメ
走行距離:28.82q

フェリーが予定より45分遅れ、9:15にシオスに入港。チェシメ行の出港時間は10:30と17:00。世界遺産に登録されているネア・モニ修道院へ行ってみたいので17時にフェリーに乗船することにする。
修道院までは14q、ところが12qが上り。2時間かかってようやく到着。八角形の修道院とモザイク画が素晴らしい。修道院の外からはシオスタウン、エーゲ海、トルコがのぞめ絶景だ。
この景色を眺めながら昼食。港に戻って昨日に引続き長い待ち時間。退屈で疲れる。シオスのパスポートコントロールでギリシャの出国手続き、なんの質問なく、スタンプが押される。
乗客も国際航路の客というよりも、本土と離島間の客といった感じだ。フェリーは予定通り1時間の航海で18時チェシメに入港。パスポートコントロールでトルコの入国手続き。
質問なしでスタンプが押される。税関は行け行けと出口を指差し、質問なし。チェシメの町は入江に囲まれたリゾートタウンのようだ。
下船後観光案内所を探して行ってみると17:30でクローズ。観光案内所に着いたのが18:30。キャンプ場と両替所を紹介してもらいたかったのに残念。
タクシーの集まっているところでキャンプ場と両替所を尋ねたところ、キャンプ場はわからないが、ホテルの案内板が出ている場所と両替所を教えてくれる。両替所はこの時間でも開いているという。
残っている200ユーロをトルコリラに両替。次にホテルの案内板の所に行くと、すぐ近くにホテルが見えたので行ってみると1泊40トルコリラ。ところが今日は満室。
近くにホテルがないかと尋ねると、すぐ裏を指差して、あそこにあるという。ペンションがある。シャワー、トイレ、エアコン、テレビ、アメニティーがそろっている。とても清潔だ。
それで30トルコリラ。日本円で1800円程度だ。イタリア、ギリシャと比べると全く安い。荷物を置いてすぐ食事に出かける。
薄切り肉の巨大な回転焼。削ぎ落としてサンドイッチにして食べるドネル・ケバブ。ビールとあってうまい。元気がでた。明日からトルコを走るぞ。
写真はネア・モニ修道院
5月6日(金)曇後昼頃から晴
アテネ〜ピアレス
走行距離:20.04q

午前中にアクロポリス遺跡へ。はじめにギリシャ最古の劇場ディオンス劇場へ。次にギリシャで一番見たかった古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿。雄大な姿と巨大な列柱に圧倒される。
次にエレクティオンへ。バルテノン神殿とは対照的に繊細優美。6人の少女像を柱とした柱廊が美しい。次に今も古典劇が上演されるイロド・アティコス音楽堂へ。
これらはギリシャ古代遺跡のハイライトだ。遺跡を見て満足してホテルへ戻る途中にフェリーの案内所があったのでヒオス島への今日の出港時間を尋ねると、17:30と23:59の2便がある。
ヒオス島への到着時間は23:30と8:30。知らない港に深夜に着くのは心配。迷わず23:59に乗船することにする。ホテルに戻ってすぐピアレスに向かう。
12:30ピアレスに到着。すぐにフェリーの乗船券を購入。出港まで時間がありすぎる。どう時間を潰そうか。昼飯を食べり、市内をポタリング。市場へ行くと新鮮な魚、野菜、果物が並んでいる。
値段も安いようだ。次にアギア・トリアダ大聖堂へ。時間が十分あるので、人が途絶えるのを待って写真を撮ろうとしていると、教会の前を通る人のなかで十字を切って行く人が多い。
16:30港に戻る。レストランで時間を潰そうと席に着こうとするとら、二人連れの男が手招きする。自転車でやって来たところを見て興味を持ったようだ。17:30のフェリーに乗るという。
ずっと時間待ちをしていたようだ。片言の英語なので分かり安い。注文したビールを飲み終わると、もっと飲めと勝閧ノ注文して、金を払ってくれる。睡眠薬強盗でもなさそうなのでいただくことにする。
彼らが乗船したあとは待ち時間が長い。自転車で疲れず待つのに疲れた。待ちくたびれた。
写真はバルテノン神殿
5月5日(木)雨降ったり止んだり
アテネ キャンピング〜アテネ市街
走行距離:14.85q

8:30曇空のなかアテネ市街へ。交通量が多く恐い。観光案内所を探して地図もらい、アクロポリスと国立考古学博物館とホテルの場所を聞いて外に出ると雨がふっている。
隣の建築現場の足場の下で雨宿り。30分ほどで止んだので、バトラのユースホステルでマークに聞いたホテルに行くと満室。観光案内書に載っているホテルへ行ってみる。
宿泊料を聞くとバス、トイレ共同で30ユーロ。アテネの中心でこの宿泊料。時間は11:30だがチェックインok。自転車はホテルの中に預かってくれるというので泊まることにする。
荷物を置いて観光に出かけようとするとまた雨。この天気ではアクロポリスはやめて、国立考古学博物館へ行くことにする。アクロポリスはここに連泊して明日だ。
この博物館はギリシャ各地からの出土品が収められているという。特に素晴らしいと思ったのは黄金のマスク。
ホテルに戻って休んだあと、17:30食事に出ようとすると晴れている。昼間晴れて夜降ってもらいたい。天気が逆だ。夕食はパトラで食べてうまかったギロ。
アテネのギロもうまい。
写真は黄金のマスク
5月4日晴一時曇(9:30〜12:00)
コリントス ブルー ドルフィン キャンピング〜アテネ キャンピング
走行距離:89.59q

昨日メールを送ったあと、私のテントの近くにサイクリストのカップルがテントを張る。ドイツからやって来たオスタータグ夫妻。
外のテーブルで明日のルートを調べていると、ご主人のロルフが明日はどこへ行くのと話しかけてくる。アテネだとこたえると、今日走って来たと、
自分が撮ったデジカメの写真を見せながら地図で説明してくれる。アテネではアクロポリスと国立考古学博物館へ行くことを勧められる。
特にコリントス運河では幸運にも船が航行しているところの写真が撮れたという。素晴らしい写真だ。明日キャンプするならと、アテネ キャンピングの場所も地図で説明してくれる。
今日は先ず昨日聞いたコリントス運河へ。船が航行しているところが見たいと暫く待つが船は来ない。残念。スタートして50qほど走ったところで12:30。食事をするところがない。
景色の良い日陰のある場所があったので、湯をわかしてコーヒーを入れて食事。なんだかキャンプの続きみたいになってしまった。
アテネまで30q付近から今まで少なかった交通量が急激に増え緊張する。アテネまで10q付近で、昨日ロルフから聞いたキャンプ場が見えた。
キャンプ場にテントを張ったあと、くのスーパーで買い物。夕食の準備をしていると、途中でガソリンストーブの火が消えた。掃除をしたら復活。
やっぱり普通ガソリンだとだめなのかなー。ホワイトガソリンがあればいいが。先が思いやられる。今日も又私のテントの隣にドイツからやって来たというサイクリストがテントを張る。
ニルスという。彼は昨日のロルフと同じように、私とは反対方向からだ。彼もアクロポリスと国立考古学博物館へ行くことを勧めてきた。
明日はアテネでホテルを探し、アクロポリスと国立考古学舶ィ館へ行くことに決まり。
写真はコリントス運河
5月3日(火)晴
連泊
走行距離:3.2q
朝日を見ようと6時に起きたが曇がかかって見えない。もう一眠りして7:30に起きると晴。今日も1日良い天気で気分がいい。
午前中は洗濯と自転車の手入れ。昼近くになって昨日通って来た近くのスーパーに買い物。食料を買って戻ってくると、昨日通って来た道にキャンプ場の表示が出ている。
昨日は注意力が散漫だったのか。まずいなー。昼はスーパーで買ってきたビールとつまみとサンドイッチ。天気がカラッとしているのでビールがうまい。
午後は海辺で観光案内書をみたり昼寝。
居心地がいいのでここに居着いてしまいそう。たまにはこをな日があってもいいか。
5月2日(月)曇→10:30〜晴
パトラ〜コリントス
走行距離:147.94q

スタートしようとしてgpsの電源を入れようとしたが入らない。昨夜今日のルートを調べ、電池を充電しておいたに。電池を変えてみたがダメ。大ショックだ。
まだイタリアしか走っていないのに。前回ポルトガルからイタリアまで走ったときは地図を頼りに走った。そのときのことを思いだし、気をとりなおして地図を頼りに走ることにする。
昨日マークに調整してもらった自転ヤの調子はいい。スタートして70qほど走った辺りから110q辺りまではほぼ海沿いのコース。
左に海、右に民家が連なる。コバルトブルーの海の色と民家の壁の白、全ての民家の屋根の茶色のコントラスが素晴らしい。
キャンプ場までは120qほどと思っていたのになかなか現れない。みつからなければコリントスの市内まで走ってホテルに泊まればいいと思って走り続ける。
140qほど走ったところで尋ねると、すでに3qほど通り過ぎている。往復で6qのロスだ。もと来た道を戻って行くと案内表示がある。
рェ向かう方向にはなく、逆方向には表ヲがある。これではわからないはずだ。バテバテになって18:30ブルー ドルフィン キャンピングに到着。
キャンプ場は素晴らしい景観の海辺にある。{設もレストラン、ミニマーケット、温水シャワー、ガスが無料で使え湯の出るキッチン、湯の出る洗面所、コインランドリーとそろっている。
しかもゴミひとつなく清潔だ。景観も素晴らしい、施設もいい。夜景も素晴らしい。今日は少し走り過ぎたし、このキャンプ場がすっかり気に入ったので連泊することにする。
写真は2件ともキャンプ場からの景観
5月1日(日)晴
バーリ〜パトラ
パトラ市内14.15q

バーリを前日の20時に出港したフェリーがアドリア海を航行し、予定より30分遅れて14時にギリシャのパトラに入港した。
下船後すぐ観光案内所を探して行ってみると日曜のためか閉まっている。観光案内書の地図でユースホステルを探して行ってみると受付には誰もいない。
よく見るとカウンターにはレセプションは16時から、電話にはボタンを押すと係がでるようになっている。
16時になって電話をしようとすると昨日からここのドミトリーに泊まっているオーストラリア人のサイクリストが戻ってきた。
電話をして1泊したいというと、18時に行くから彼と同じ部屋に入っていいという。彼はオーストラリアから東京に2週間滞在して、アテネから走りはじめ、ギリシャまで走るという。
名前はマーク フリーエル。ダホンのクロモリの自転車に乗っている。かなりメカに強そう。自分でスポークの調整をやっている。
自転車の調子はどうかと聞かれたので、フロントのインナーに入れるとチェーンが外れることがあるというと調整してくれる。明日の走りが楽しみだ。
18時にオーナーがきたのでチェックインの手続きをしたあと、明日からのキャンプに備え、スーパーで食料を買っておこうとすると休みだという。ヨーロッパは日曜はダメだ。
夕食に地元の人でこんでいる店があった。スブラキとギロの店だ。そこでスブラキとギロを食べる。実にうまい。
厚めのクレープのようなものに並んでいる肉や野菜を指差して挟んでもらう。もう病み付きになりそう。
4月30日(土)曇昼過ぎから雨
アルタムラ〜バーリ
走行距離:57.67q

朝起きるとどんよりとした曇空。食料はパスタとパンがあるが水が残り700cc。水の補給ができないので雨が降ってきても走ることにする。
8時雨が降らないことを願ってスタート。9時頃少し明るくなってきた。道路は多少アップだダウンはあるもののほぼ平坦。昨日に引き続きこの道路には商店がない。
11時半バーリに到着。駅前の観光案内所でバーリからギリシャのパトラ行のフェリーの出港時間を尋ねたがわからない。
地図をもらってフェリー乗り場、サン・ニコラ教会、フェリーに乗れない場合のことを考えホテルの場所を聞いて港へ。
フェリーターミナルで今日出港時間を尋ねると20時に乗船できる。18時までに乗り場にくるように言われる。パトラ到着は明日の12:30。
チケット買って、食時と観光と買い物に出かけようとすると二人連れの男性に話かけられる。
例によってどこからきてどこまで行くのと聞かれ、これまで走ってきたルートを説明すると、歳を聞かれる。69歳とこたえると驚いている。
ここでも地震の話がでた。そんな話をして出かけようとすると雨が降り出す。時間は十分あるのにここで雨宿りだ。このフェリーターミナルには食べるものを売っている店がない。
仕方がないので残っているパンを食べて雨の止むのを待つ。16時頃ようやく雨が止んだので市内観光へ。まずバーリの守護聖人サン・ニコラをまつるサン・ニコラ教会へ。
サン・ニコラとはあのサンタクロースの伝説を生んだ聖人のこと。続いてカテドラル、城を見て買い物をしようとするとまた雨が降り出す。慌てパンだけ買ってフェリーターミナルに戻る。
バーリに来ても天気が悪く、残念ながら南イタリアにきた感じがしない。やっぱり南イタリアは夏でないとダメのか。
写真はサンタクロースゆかりのサン・ニコラ教会

本日の3本のメールは、いずれもバーリからバトラに向かうフェリーのなから。15:30の船旅の中で。
4月29日(金)晴
ボテンザ〜アルタムラ
走行距離:80.22q

昨夜19時頃から降り出した雨も朝起きると止んでいる。久しぶりによく晴ている。早くスタートしたいがホテルの食事は8時から。
チェックアウトの時、ホテルの女性にバーリまでの道を尋ねるがわからない。彼女はイタリア語以外はボディランゲイジ。地図を見せるとオーナーを呼んでくれる。
オーナーからナビを持っているかと聞かれたので、gpsを見せる。紙を出して何やら線を書き始める。そこに町の名前を書いてゆく。
はじめに書いた線が道路の勾配だ。距離は138q。オーナーの書いた町をgpsに落として走りはじめる。スタートは9時を過ぎてしまった。
走った道路はバイパスなのだろうか。町の中には入らず、ボテンザを出てからは畑と草原、たまにボツンボツンと民家が遠くに見えるだけ。
昨日スーパーで食料を買っておいたので心配なく走れたが、アルタムラまでの80qが無補給区間となった。
道路は一昨日、昨日ほどの厳しい上りはなく、休み休みとか押しがはいるようなことはなかった。17時半アルタムラの町が見えてきたが、バーリまではまだ50q以上ある。
テントが張れそうな場所を探していると、廃屋が数件現れてきた。その中の一番大きい廃屋の中にテントを張る。
4月28日(木)雨降ったり止んだり
ウ゛ィットリオ エヌマ〜ポテンザ
走行距離:51.29q

天候が激しく変わる一日だった。厳しい上りも多かった。そのため距離がちっとも伸びない。
雨の音で目が覚める。時間は6時半。8時半頃止んだので、少し様子をみて9時スタート。すぐ上り坂。10時半頃通りかかった町のスーパーでパンを買っておく。
どこで雨に降られても、途中で食べるところがなくてもいいように。昼頃になってもあたりは畑と草原、民家がボツンボツンとあるだけ。パンを買っておいて正解だった。
昼休をとって13時スタート。15分ほど走ると激しい雨。ちょうど高速道路と交差するところだったので、その下で雨宿り。15分ほどで青空に変わり太陽がでてきたのですぐスタート。
厳しい上り坂を休み休み上って行くと、14時半頃今度は雷をともなった雨。山の中。自分が雷の標的になっているようで恐ろしい。廃屋があったのでそこで雷を避けて雨宿り。いっこうに止まない。
止まなければここにテントを張ればいいやと腹を固める。16時ようやく青空が広がり太陽がさしてくる。気をとりなおしてさらに上り続ける。
ボテンザ手前10qぐらいからようやく5qほど下ったかと思うと、町の中心まで5qほどの上り。観光案内所がわからない。通りかかった熟年の男性に尋ねると、この時間もう閉まっているよ。
ホテル探しているのと聞かれ、安いホテル知らないと尋ねると、近くにペンションがあると教えてくれたので行ってみる。ところが自転車だからか、日本人だからかわからないが断られる。
町の中で自転車押しながらホテルを探してウロウロしていると3人の家族連れの女性に声をかけられる。
イタリア語だが何を探しているのかと言っているようなので、安いホテルを探しているとこたえると、ご主人と何か話して、着いて来なとホテルまで案内してくれる。
奥さんが片言の英語なので私にはかえってわかりやすい。いろいろ雑談しながらホテルへ行く。雑談のなかで地震の話がでる。ホテルに着くとご主人がホテルの人に話してくれる。
それを奥さんが通訳してくれる。シャワー、トイレ、朝食付で50ユーロ。40ユーロの部屋はないかというと。40ユーロでオーケー。
ホテル探しであせっていたので、写真を撮らせてもらうのを忘れ残念なことをした。ホテルのオーナーにスーパーの場所を尋ねると、近くにあると言って連れて行ってくれる。
オーナーも片言の英語で、曲がり角ごとに、この角覚えたといいながら。ペンションで嫌な思いをしたがこんな親切なご家族やオーナーに出会ってこの町がすっかり好きになった。
4月27日(水)晴→14:30頃から曇
ポンテカグナノ〜ウ゛ィットリオ エヌマ
走行距離:81.4 q

今日は3日ぶりに晴れたが風が強い。しかも向風だ。エボリという町のパン屋の前で自転車を停めているとおばあちゃんが話しかけてくる。
日本人、どこから来たのと聞かれたので、日本人で東京からローマとここまで話したところ、そのあとナボリ、ポンペイ、サレルノ、エボリでしょうと私が走ってきたルートをはなしてくる。
あとはイタリア語で最後のグッドラックだけが英語。でもとてもあたたかい感じの人った。エボリの町を抜けると長い上り、しかも向風だ。
フル装備の自転車では厳しいをとおりこしている。10qほど上ると風車が林立している。そんな光景から風が強いのは今日に限ったことではないのかもしれない。
厳しい上りを押したり休んだりしながら、2時間半もかけてようやく越えると天候が一変する。今まで吹いていた風がやみ、空が曇っている。峠からは急な下り。
時速は54qを記録。その後は再び厳しいアップダウンが続く。ウ゛ィットリオ エヌマという町に入ったところで17:30分。
どこでテントを張ろうかとテントの張れそうな場所を探しながら走っていると、ドアや窓が取り払われ、コンクリの柱と壁と屋根だけが残った改築中の建物があったのでそこにテント張って泊まる。
4月26日(火)午前時々雨 午後曇
ポンペイ〜ポンテカグナノ
走行距離:44.35q

昨日の夕食のリゾットはうまかった。インスタントでお湯に入れて待つだけ。こんな簡単なものだが、イタリアに来て初めて米の飯だったからだろう。
20時頃から雨が降ったり止んだり。夜中に雨の音で目が覚める。本降となっている。雨漏りしないかと心配になる。
6時に目が覚めると雨が止んでいる。心配だった雨漏りもない。
一昨日、昨日と観光であまり走ってないので、今日は気合い入れて走ろうと思っていると、また小雨が降ったり止んだり。
空模様をみていると9時頃ろ空がいくぶん明るくなってきたので9時半にスタート。
昨日はキャンプ場近くのスーパーが休みだったので、どこかにスーパーがあったら食料を買ってキャンプに備えておこう。
10時を過ぎたころスーパーがあったので食料の買い物。ところがスーパーを出ようとするとまた雨だ。條ヤは10梍シ。今度はいっこうに止まない。スーパーで1條ヤ以上も雨宿り。
諦めて雨仕様に調えレインウェアを着ようとすると雨が止んだ。今日は一日雨に悩まされそう。
11時45分ようやく再スタート。14時45分サレルノという町に入って観光案内所に行くとシェスタ。開くのが15時15分。30分も待たなければならない。
直ぐ近くに交番を発見。この町にキャンプ場でないかと尋ねると、海岸沿いの10q先にるルビーニヤというキャンプ場があるという。
キャンプ場に着いて日本からきたというと、管理人が喜んでくれ、どこから走りはじめ、どこまで行くのかとか、東京は地震は大丈夫だったかなどいろいろとイタリア語で聞いてくる。
それをもう一人が英語で通訳。最後に写真を撮らせてくれと二人で記念撮影。こんな町でキャンプにくる日本人は珍しいのだろう。
あの大震災が世界でも注目されていることを実感した。このキャンプ場にはバールがあるが今の時期はやってない。
ホットシャワーもあるので、シャワーを浴びてアルコールでもと思ったのに残念。
4月25日(月)曇一時雨(15:15〜15:45)
ナポリ〜ポンペイ
走行距離:27.57q

曇空のなか、ゴミの散乱するナポリの石畳の道路をポンペイに向けて走り出す。土、日のあとのためかそれにしてもひどいゴミの量だ。
ナポリの町をでれぱ石畳が終わると思ったが町を出ても石畳が続く。自転車がが悲鳴をあげている。
時速を10q以下に翌ニし、これからも永い付き合いの自転ヤをいたわって走る。結局12qにわたって石畳を走ることに。
ボンペイに着くと、遺跡の入口近くにキャンプ場がある。こんな近くにキャンプ場が見つかるとは予想外。すぐにテントを張って遺跡へ。
入口で地図と説明書をもらったが、地図はわかるが説明書はイタリア語で読めない。これが読めればと思い残念だ。
ボンペイはウ゛ェースウ゛ィオ火山の大噴火で火山灰にうずもれた古代都市だ。ひとつの都市が丸ごと遺跡となっているのでとにかく広い。
11時に入って出たのが2時半。神殿、劇場、闘技場、庭園、商店、大邸宅など、なんでもある。
ひとつの都市が丸ごと遺跡になっているのだから当然か。
なかでも目を引いたのが大邸宅の大広間の壁一面に描かれた壁画。
「ポンペイの赤」のバックがなんともいえない雰囲気だ、
ポンペイ遺跡と後ろに小さく見える山がウ゛ェスーウ゛ィオ火山
4月24日(日)晴

今日はナポリの市内観光。石畳と坂の多い狭い道路が多くとても自転ヤでは走る気がしない。
また自転車走っている人をほとんどみかけない。のんびりと歩いてみる。町の中はゴミの集積場所には山のようにゴミが積まれ、置ききれず、周囲に散乱している。
道路のいたるところにタバコの吸い殻が捨てられている。そんなかかまずナポリの人の信仰のよりどころといわれるドゥーモへ。
日曜礼拝が行われ、聖書が読まれたり、賛美歌がうたわれ厳かな雰囲気だ。次にナポリの王族や貴族が眠るサンタ・キラーラ教会へ。ここでも礼拝が行われている。
次に国立考古学舶ィ館へ。ここは世界でも屈指のギリシャ・ローマの美術品を収集した舶ィ館。古代都sからの様々な発掘品が展示され、古代文明の宝物庫のようだ。
駅の近くに戻るといろいろな露店がでて、日本のどこかの祭りのようだ。一日観光と思っていたのに疲れて、バールでピザを食べてホテルへ戻る。観光は疲れる。
ホテルでは明日からの走りに備え自転車の手入れ。明日ははポンペイの遺跡をみて、キャンプ場を探し、見つかればキャンプするつもり。
写真はサンタ・キラーラ教会の日曜礼拝
4月23日晴→午後 晴、曇
フォーミア―ナポリ
走行距離:90.46q

走りはじめてしばらくすると、gpsが道路標ッとは違う方向を示す。ナポリまでの距離はgpsより道路標ッのほうが短い。
今日のルートには特に写真におさめておくようなビューポイントもなさそうなので、距離の短い道路標ッにそって走ることにする。
50qほど走ったところで自動車専用道になる。だからgpsが道路標ッとは違う方向を示していたのか。
ナボリに入り、海岸沿いを走って行くと、海に張り出して建てられた12世紀の古城「卵城」が現れる。サンタ ルチアの歌に歌われた風情あるたたずまいだ。
周辺は観光客でいっぱいだ。ここから観光案内書にのっているナボリ駅近くのホテルをめざす。ホテルに行ってみると満室。
どこかホテルを紹介してくれないかていうと、近くのホテルに電話を入れ、空室があると紹介してくれ、場所の地図を書いてくれる。
泊まらないのにとても親切で感謝。紹介されたホテルは古びたホテルで泊まろうか迷ったが、駅に近く安いことと、なによりもホテルの親父が感じがいいので泊まることに。
はじめシャワーなしで35ユーロという。それでは泊まらないというと、シャワー付きの部屋で、自転車は部屋に置いていいというので泊まることに。
スーパーやバールを尋ねると外に出て、私の肩に手をあて、あそこがスーパー、あそこがバールと指差して教えてくれる。
スーパーではキャンプにそなえ、食べ物、調味料、コーヒーなどを購入。
あとはガスカートリッジをもってきているのでアウトドアーショップでキャンピングガスを購入するか、なければガソリンストーブのガソリンを購入すればいい。
問題は水だ。いまのところ毎日ホテル泊まりだから、はやくキャンプをしてみたい。
写真はは卵城とサンタルチアの海
4月22日(金)曇
アプリーリア―フォーミア
走行距離138.83q

昨日はスタートが9時を過ぎてしまったので、今日は8時にスタート。半袖のサイクルジャージと短パンで走って日焼けし、腕がヒリヒリするので、
今日は長袖のサイクルジャージで走る。スタートしてラティーナという町までは交通量が多く緊張して走る。この町を過ぎると交通量が急に少なくなって、はじめは快適に走る。
ところが真っ直ぐな単調な道路で、まわりも畑ばかりで変わりばえのしない風景が続く。ぼんやり走っているとスピードが翌ソて、気がつくと時速15qに翌ソている。
結局なんと40qにおよぶ変化のない直線道路。走っていて飽きてしまう。ところがフォーミアの手前25qの町からは10q以上の上り。
100qほど走ってからの上りはきつい。勘弁してほしい。この坂を休み休み上り、1條ヤ15分もかかってしまった。
フォーミアの町角のベンチで談笑していた数人の熟年の男性に安いホテルを尋ねると、皆で相談して、町の中心街から3qほど離れたところにあるホテルを教えてくれる。
ホテルに行くと、すごく宿泊料の高そうな雰囲気。そしてここは違う。そのホテルは直ぐ近くのむかいがわだという。
ちなみにこのホテルは1泊いくらですかと尋ねると、フロント女性は80ユーロという。ところがそばで聞いていたフロントの男性が60ユーロという。50ユーロで泊まれないかというとok。
シャワーではなくバス、トイレ、朝食付だという。荷物も部屋まで運んでくれる。部屋は広く清潔で、ソファーやテーブル、冷蔵庫、歯ブラシ、髭剃りなどアメニティ―も全て揃っている。
部屋からは先ほど走ってきたフォーミアの夜景が見える。素晴らしいシーサイドホテル。
間違って入ったことが幸運だった。
湯船にドップリつかり、138qにあるおよぶ激走の走りがいやされた。
4月21日(水)晴

走行距離 70.5q
交通量の多さと石畳に悩まされながら慎重に走ってウ゛ァティカン市国のサン・ピエトロ寺院に到着。
今回のツーリングのスタートはここに決めておいたのだ。いあわせた女性に写真撮影をお願いする。
スタートしてしばらくはあい変わらず交通量の多さと石畳に緊張して走る。ローマ市街を抜けると徐徐にではあるが交通量が少なくなってくる。ところが今度はアップダウンが続く。
さらに長いのぼりだ。その後はようやく下りから平坦な道になる。キャンプできそうな所を探しながら走るがみつからない。
16:30アプリーリアという町に入る。條ヤ的にこの町に泊まろと町の中心街で観光案内所を探すがみつからない。
観光案内書にものっていない町なのでないのかもしれない。ちょうど警@官がいたので聞いてみると、観光案内所もキャンプ場もないという。
安いホテルを聞くと分かりやすいところまで案内してくれる。紹介されたホテルでは、奥さんがイタリア語でなにかいったあとすぐにその場からいなくなり、しばらくするとご主人が出てくる。
奥さんは変な東洋人に驚いたのだろう。宿泊料はシャワー、トイレ、朝食付で40ユーロ。もう少し安い部屋はないかというと、35ユーロ。他のホテルを探すのも面倒なので泊まることにする。
なんだか成田以来ずっと値切り交渉ばかりやっているようで我ながらあきれものだ。町に散歩に出かけると、ローマでは皆足早にせかせかと歩いていたのにこの町では皆ゆっくりと歩いている。
町の雰囲気も翌ソ着いていて治安もよさそうだ。ただどこへいってもほとんど英語が通じない。
イタリアに来て今日で4日目、ボンジョルノ、グラーツィエ、スクーズィ、クアント コスタなどが抵抗なくでるようになった。
そうそう治安のことで思い出した。ローマのテルミニ駅で地下鉄の乗車券を買おうとしたとき、人形を抱いて布で手を隠した女性が近寄ってきた。
とっさの判断でかわしたが、観光案内書に書かれているスリだ。実際に出くわしたのは初めてだ。本のうえだけことかと思っていたのに。
4月20日(水)晴
今日もサン・ピエトロ寺院へ。10時からローマ法王の謁見が行われる。昨日同様地下鉄で行く。
9時45分寺院に到着。10時になってもいっこうに始まらない。30分遅れて始まる。
法王がオープンカーで入場。サン・ピエトロ広場に集まった2〜3万人と言われる人が興奮して迎える。
講話が行われ、拍手が起こったり、海外からやってきた人が国旗を振ったり、興奮が高まる。
携帯のカメラでは状況が上手くお伝えできないのが残念です。
今回の目的のひとつがローマ法王の謁見だとたので、目的のひとつがはたせたので、また明日から走りはじめます。
4月19日(火)晴
フィウミチ―ノ―ローマ
走行距離:40.92q
いつものことながら心配していた自転車は、朝ダンボールから取り出すと何事もなく一安心。
今日は時差ボケで調子が良くない。ローマまで慎重に走り、テルミニ駅近くの前回泊まったホテルへ行くと満室。
近くのホテルも3軒が満室。4軒目でやっと空室がある。
値段は1泊朝食、シャワー、トイレ付で60ユーロ。もっと安い部屋はないかというと55ユーロという。
2泊するから50ユーロにしろと言うと、キャッシュならそれでいいというので泊まることにする。
部屋に入ると冷蔵庫もついている。テルミニ駅の直ぐ近くでこの値段。まあいいだろう。
荷物を部屋に置いて、フロントでブァティカンへの行き方を尋ねると地下鉄が一番いいという。
前回混んでいて入らなかった、ブァティカン博物館とサン・ピエトロ寺院、今回はと思って行ったが、前回以上に並んでいる。
今回も諦めて、サン・ピエトロ寺院だけでホテルへ戻る。
4月18日(月)
大地震後の余震が続いているので、交通機関への影響を考慮して早めに自宅を出発。何事もなく9:30に空港に到着。ところが搭乗手続に時間がかかる。
先ず片道航空券では入国できない恐れがあるので、入国できない場合、航空会社に責任は問わないという書類に署名を求められ、これに署名。
次に荷物の重量が20s超過。超過料金はsあたり3800円、合計76000円だという。人より荷物ほうが高い。
勘弁してもらいたい。旅行の主旨を話して無料にしてくれというと、それでは半分の10s超過にするという。
さらに粘って5s超過でお願いするというと、それでは機内持ち込みの荷物を計らせてくれと言われ、計ってみると7s。10sまで機内持ち込みできるという事で、
あと3sを機内持ち込みとし、最終的に7s超過で26600で決着。モスクワ空港に到着。
6年前に乗り継ぎで立ち寄った時は、暗い感じの古い空港だったが、すっかり変わって近代的な素晴らしい空港となっている。
ローマに着陸すると、前回もそうだったが乗客から拍手がおこる。ロシアからの便はみんなそうなのだろうか。
旅行会社や航空会社が心配したパスポートコントロールでは、係官は何の質問もなくだまってスタンプを押してくれる。
続いて荷物を受取り、税関に行くと、その荷物は自転車ですね。もう一つは何ですかと聞かれたので、
スペアタイア、スペアチューブ、テント、シュラフと説明してゆくと、ここで説明を遮り、どこを走るのかと聞いてくる。
ローマから中国の上海までと答えると、「オー、グッドラック」と言われ、荷物検査はなし。
続いてタクシー乗り場へ行こうとすると、空港の出口付近で客引が声をかけてくる。ホテルは決まっているのかと聞かれ、フィウミチーノのホテルイソラと言うと、50ユーロだと言う。
距離を聞くと6q。半分の25ユーロにしろと言うと、40ユーロに。さらに30ユーロにしろと言うと、荷物が大きいので、大きい車が必要だから40ユーロだという。
乗らないと言って、タクシー乗り場でワゴン車のタクシーを探す。1台目は荷物が大きいと言って断られる。
2台目は40ユーロという。30ユーロにしろと言うとダメ。時間も10時半を過ぎているのでしかたがない。
妥協して35ユーロというとok。カネにはシビアだが荷物の積み降ろしもまめにやってくれる。降りる時は普通ならチップを渡すところだが、高いので35ユーロだけ支払う。
それでも運転手はニコニコしてグラッチェという。彼にとってはいい仕事だったのだろう。
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